| [整理番号:0118] 【はじめに INTRODUCTION】
 苔綱・ゼニゴケ目・ウキゴケ科 イチョウウキゴケ Ricciocarpos natans (L.) Corda は、
かつて国内の水田等に普通に見られる蘚苔類の、ひとつであった。
 しかし、近年の土地開発事業・用水路の直線化・三面コンクリート張り等の環境改変、農薬、水質汚濁等により、
自然分布域は急速に狭まり、ついには環境省の、レッドデータブックに
「蘚苔類 CR+EN(絶滅危惧T類) 」と記載されるに至った(※01自然環境局生物多様性センター・生物多様性情報システム)。
 そこで、今回は千葉県において身近な灌漑用ため池である、東金市所在雄蛇ケ池(※02)を
例にとり、専門家に頼らず、一般市民レベルが実施可能な手法を用いて、
イチョウウキゴケの現存量を明らかにするための調査を実施した。
 イチョウウキゴケの全景(俯瞰)と水平姿勢(仰角)をFig.01-02に、葉状体(上部)立断面と仮根の先端部をFig.01b-02bに示す。
 
    fig.01 スポンジ状の葉状体 fig.02 鱗片が多数下垂する
 
    fig.01b 葉状体(上部)立断面(顕微鏡写真) fig.02b 仮根の先端部(顕微鏡写真)
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 【材料及び方法 MATERIALS AND METHDS】
 雄蛇ケ池の水辺を徒歩で調査し、イチョウウキゴケの現存を確認したエリア3ケ所の内、
2ケ所を選択し、コドラート法による調査枠をそれぞれ1区画設置した。
 1区画の面積は、各々50cm×50cm(0.25m2)とし、枠の支柱8本は雄蛇ケ池
周遊散歩道脇に刈り取られ捨てられていた枯れた篠竹を使用した。
 枠は、ホームセンター等で市販されているポリプロピレン製梱包ヒモ(青色)を、
一辺50cmとなるよう結束し使用した。
 距離測定は、市販のコンベックス(5.5mもの及び20mもの)を使用した。
 1区画(st.k01)は区画内の多くがイチョウウキゴケに被われている場所とし、
別の1区画(st.m01)は区画内の全部にイチョウウキゴケが密集している場所に設置した。
 合計2区画をデジタルカメラの精密高画質モードで写真撮影すると共に、エリア3ケ所内の各部分ごとに目視により、
現存イチョウウキゴケ量の粗密を「まばら・多い・全面密集」の3段階に識別し、
段階ごとの面積を測定し、記録した。
 
 
帰宅後、精密高画質デジタル写真をパソコンに移し、パソコンのディスプレー(21インチ)上で、
スクロールさせながら、区画(st.k01-st.m01)内のイチョウウキゴケ全株数を数え(株の大小は不問とした)、「区画内の多くがイチョウウキゴケに被われている場所」及び
 「区画内の全部にイチョウウキゴケが密集している場所」の全株数実測値を取得した。
 現存イチョウウキゴケ量の粗密段階別に、「全面密生=実測値=1.0」・「多い=実測値=1.0」・
「まばら=多いの半数=0.5」の係数を与え、全株数実測値に係数と面積を乗じ、面積ごとの全株数に換算・推定した。
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 【結果 RESULTS】
 2008年03月26日(水曜・10:30〜13:30・天候晴天・満水)に設置した、1区画(st.k01)及び
別の1区画(st.m01)を、Fig.03-04に示す。
 
    fig.03 (st.k01) fig.04 (st.m01)
 区画(st.k01)は「区画内の多くがイチョウウキゴケに被われている場所」で、
 区画(st.m01)は「区画内の全部にイチョウウキゴケが密集している場所」とした。
 また、(st.mn)には、調査枠は設置していないが、(st.k01)及び(st.m01)と同様に、
現存イチョウウキゴケ量の粗密を、3段階に識別し、段階ごとの面積を測定し、記録した。
 エリア3ケ所について、段階ごとの面積・全株数実測値・全株数推定値等を、Table.01に示す。
 
 
Table.01 雄蛇ケ池3エリアのイチョウウキゴケ実測値及び全株数推定値
 
 
 
 
 
  | エリア | 実測平面 | 算出面積 | 粗密状態 | 係数 | 実数 | 全株数 | その他 |  |  |  
  | st.k01 | 0.5×0.5m | 0.25 | 多い | - | 1230 | 1230 | 水深0〜20cm・水色澄み |  
  | k02 | 1.5×5.0m | 7.5 | 多い | 1 |  | 36900 | 同上・冠水した篠竹の中 |  
  | k03 | 1.5×5.0m | 7.5 | 多い | 1 |  | 36900 | 水深0〜20cm・水色澄み |  
  | k04 | 5.0×2.0m | 10 | まばら | 0.5 |  | 24600 | 同上 |  |  |  
  | k05 | 5.0×5.0m | 25 | 多い | 1 |  | 123000 | 同上 |  |  |  
  | 計 |  |  |  |  |  | 222630 |  |  |  |  
  | エリア | 実測平面 | 算出面積 | 粗密状態 | 係数 | 実数 | 全株数 | その他 |  |  |  
  | st.m01 | 0.5×0.5m | 0.25 | 全面密集 | - | 8000 | 8000 | 水深0〜20cm・水色澄み |  
  | m02 | 1.0×5.0m | 5 | 全面密集 | 1 |  | 160000 | 同上 |  |  |  
  | m03 | 2.0×15.0m | 30 | 全面密集 | 1 |  | 960000 | 同上 |  |  |  
  | m04 | 1.0×40.0m | 40 | まばら | 0.5 |  | 98400 | 同上 |  |  |  
  | 計 |  |  |  |  |  | 1226400 |  |  |  |  
  | エリア | 実測平面 | 算出面積 | 粗密状態 | 係数 | 実数 | 全株数 | その他 |  |  |  
  | mn01 | 20.0×3.0m | 60 | まばら | 0.5 |  | 147600 | 水深0〜10cm・水色澄み |  
  | mn02 | 1.0×10.0m | 10 | 全面密集 | 1 |  | 320000 | 同上 |  |  |  
  | mn03 | 5.0×10.0m | 50 | 全面密集 | 1 |  | 1600000 | 同上・枯れヨシ原の中 |  |  
  | 計 |  |  |  |  |  | 2067600 |  |  |  |  
  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  
  | 合計 |  | 245.5 |  |  |  | 3516630 |  |  |  |  
  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  雄蛇ケ池に現存するイチョウウキゴケは、3エリアの合計245.5m2に分布を確認した。
 カウントした実数値を用いた全株数推定値は、3,516,630株であることが、明らかになった。
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 【考察 DISCUSSION】
 ★自然保護行政の観点から
 イチョウウキゴケは、環境省のレッドデータブックで「蘚苔類 CR+EN(絶滅危惧T類) 」とされる。
 1999年の千葉県レッドデータブック(植物編)では「蘚苔類,A 最重要保護生物」であった(※03)。
 しかし、2004年の千葉県レッドリストで「B−D 保護を要する生物」に格下げされた(※04)。
 それぞれのカテゴリーを対比し、その定義を、Table.02に示す。
 
 
Table.02 環境省・千葉県レッドデータブック・千葉県レッドリストにおけるイチョウウキゴケの扱い|  | 環境省 | 千葉県レッドデータブック(植物編) 1999年
 | 千葉県レッドリスト 2004年
 |  | カテゴリー | 蘚苔類 CR+EN
 絶滅危惧T類
 | 蘚苔類 A
 最重要保護生物
 | 蘚苔類 B−D
 保護を要する生物
 |  | その定義 | 絶滅の危機に 瀕している種
 | 個体数が極めて少ない、生息・生育環境が極めて限られている、 生息・生育地のほとんどが環境改変の危機にある、などの状況に
 ある生物。放置すれば近々にも千葉県から絶滅、あるいはそれに
 近い状態になるおそれがあるもの。
 このカテゴリーに該当する種の個体数を減少させる影響及び要因は
 最大限の努力をもって軽減または排除する必要がある。
 | B 重要保護生物 C 要保護生物
 D 一般保護生物
 B−D 保護を要する生物
 維管束以外の植物では、カテゴリー区分B,C,Dを区別しなかった
 |  イチョウウキゴケの扱いについて、環境省と1999年の千葉県はほぼ同列歩調であった。
 しかし、2004年の千葉県レッドリストでは、明らかにトーンダウンしていることが気がかりである。
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 ★歴史は繰り返す
 雄蛇ケ池における水生植物帯の激減状態は、1978年から1980年にかけても発生し、国井(1984)が詳細を報告している(※05・英文)。
 雄蛇ケ池の水生植物は、1979年05月07月09月にほぼ全面的に水面を覆っており、その概略は東半分にヒシtrapa、西半分にハスnelumbo、であった(※05 Fig.11)。
 しかし、1980年05月は中央部を主に約70%が消失し、09月はさらに拡大し約80%が消滅している(※05 Fig.11)。
 その原因を国井(1984)は、
 「the considerable reduction of surface cover in 1980 occurred as a result of winter drawdown and unfavorable summer weather occurred at that time and/or the introduction of the grass carps.」と述べている。
 要訳すれば、「(水面を覆っていた水生植物の)1980年の縮小は、冬季(1980年01〜02月)水抜き・水位低下の結果及び、好ましからぬ夏の天候に加えて(または)草魚の導入により起こった」となろう。
 慎重な表現を大胆な表現に変更し、短刀直入に言うことが許されるなら「ソウギョを放流し、水生植物帯の約80%を1年で消滅させた」
ことに他ならない。
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 ★再び草食魚ソウギョの放流と絶滅危惧U類ガガブタの減少
 雄蛇ケ池では、2006年02月に藻の繁茂防止を目的に、再び、草食魚ソウギョ(※06・07・08)が放流された。
 2007年春季・夏季・秋季までに、ソウギョ放流以前に繁茂していた、マツモ・オオカナダモ・ヒシ・ガガブタ・等
の沈水植物帯・浮葉植物帯の水生植物が壊滅・減少状態になり、次第に抽水植物帯のマコモ・ヨシ等の新芽も食害されている(※09)。
 水生植物帯の激減状態にともない、底泥の巻上げによる栄養塩の再溶出に起因した植物プランクトン(藍藻類)の大繁殖
も懸念される。
 浮葉植物では、環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧U類・VU」とされ、
2004年の千葉県レッドリストで「C 要保護生物」に指定されたガガブタも、雄蛇ケ池において既に減少状態にある。
 水生植物帯受難の歴史は繰り返した、再び同じ道を行きつつある。
 先の国井(1984)報告の1980年当時の様相が、2007年の雄蛇ケ池に心ならずも再現されている。
 ソウギョ放流以前の2003年09月25日及びソウギョ放流後の2008年03月26日の、ガガブタ生息ポイントの変化状況を、Fig.05-06に示す。
 
    fig.05 ガガブタ群落(2003年09月25日) fig.06 ガガブタは減少状態(2008年03月26日)
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 ★雄蛇ケ池の未来に向けて
 1980年の事例・ガガブタの事例・及びそれらの含意から、
イチョウウキゴケに対するソウギョの食害も危惧されるという、新たな特有事情が雄蛇ケ池に生じた。
 上述した事実を踏まえ、千葉県は、貴重種水生植物の継続的脅威となり得る人為的原因排除の指導をすべきではなかろうか。
 遅きに失した感は否めないものの、継続的脅威を断ち切り、影響度を低下させることは、有意であろう。
 本調査では、雄蛇ケ池の一部湖岸の探索を実施したが、全湖岸における現存イチョウウキゴケの探索をはじめ、他の絶滅危惧種
の探索は、今後検討する必要があろう。
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 【謝辞 ACKNOWLEDGMENTS】
 本調査を実施するに当たり、雄蛇ケ池におけるイチョウウキゴケ現存の情報を頂いた、ホームページ「雄蛇ケ池バスフィッシングガイド」(※09)
主宰者つかじー(ハンドルネーム)さんに、お礼を申し上げる。
 また、神奈川県水産技術センター内水面試験場利波之徳氏には文献閲覧の利便を与えて頂き、心より感謝します。
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 【参考文献 REFERENCES】
 (※01)環境省(2008):環境省自然環境局生物多様性センター
 (※02)「ザ・レイクチャンプ」「シークレット・ポイント0001雄蛇ケ池」
 (※03)千葉県(1999):千葉県レッドデータブック(植物編),
 (※04)千葉県(2004):千葉県レッドリスト,
 (※05)Hidenobu KuNiI(1984):Seasonal Changes in Water Quality and Surface Cover of Aquatic Plants in Pond Ojaga-ike, Chiba, 1978-1980.
Memoirs of The Faculty of Science, Shimane University, 18, pp.59-68,
 暫定和訳:国井秀伸(1984):1978年から1980年における千葉県雄蛇ケ池の水質と植被の季節変化.島根大学理学部紀要(18)pp.67.
 (※06)土屋 実・中村一雄・船坂義郎・寺尾俊郎・粟倉輝彦(1970):草魚・連魚.草魚・姫鱒他.緑書房,東京,pp.11−89.
 (※07)● 作組(1983):草魚.中国薬用動物志.天津科学技術出版社,天津・中国,pp.203−205.(姓は十偏にソウ=刀の両脇にハネ点)
 (※08)牟田邦甫(1986):ソウギョ関係研究文献解題.水産庁東海区水産研究所陸水部pp.01−76.
 (※09)「雄蛇ケ池バスフィッシングガイド」
 (※10)大滝末男・石戸 忠(1980):イチョウウキゴケ.日本水生植物図鑑.北隆館,東京,pp.278−279.
 
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