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八丁堰(はっちょうせき)鴨川市位置図

整理番号
0102
名 称
八丁堰(はっちょうせき)鴨川市 hatsuchou dam.
所 在 地
千葉県鴨川市吉尾平塚字八丁
2万5千分の
1地形図
鴨川6860

分 類

溜池(灌漑用)

別 称

なし
それ行け! アクセス

JR内房線安房鴨川駅より、西へ約9km。
内房・東京湾沿いの館山自動車道を南下し、富津館山道路・鋸南保田ICより
県道34号・鴨川保田線に入り、東進。横根峠で富津市に入り、郡境で鴨川市に入る。
約8km先、国保病院と長狭中学校の信号を右折・南下、国道410号線に入る。
2km先の右が八丁堰。
湛水面積
3.352ha
最大水深
7.0m(推定)
有効貯水量
200,000m
流域面積
不詳
完成年月
1937(昭和12)年
BASS
生息確認年月

2003(平成15)年03月05日未確認
ボート店

貸しボート・売店・トイレなし。
満水位の八丁堰
特 徴
Special Feature
街道脇にある農業用溜池。

東西に堰堤がのび、湖水は南に広がる。

満水だとアプローチは堰堤が楽で、東の道路側はボサ藪と水面との比高にはばまれる。

西岸にワンドがあるが未開拓の模様。

減水だとボトムは砂・土・砂岩状で硬いから歩ける。

水色は、通常ややマッディー、水面はオープン。

蛇行した明確なリバーチャンネルが、西岸よりにある。ストラクチャーには、とぼしい。

水温は上がりやすい優秀な堰
由 来
history.
長狭平野の大空間を背景に八丁堰は明るい。

谷を東西にせき止め、湖水は南にのびる。

堤体は一文字型のアース式、土盛りである。取水設備は堰堤中央、余水吐け

(コンクリート製越流式)は西端にある。

八丁堰は、堤頂高18.0m、堤頂巾4.0m、堤頂長80.0m、堤体積59000m

総貯水容量・有効貯水容量は、200000m(古い時代の農業用溜池で、

総貯水容量と有効貯水容量の区別が不明確のままだ)、1937(昭和12)年竣工

が、公式仕様とされる。

取水設備

しかし、吉尾村耕地整理組合により建立された堰堤脇の溜池設置記念碑によれば、

起工 1931(昭和06)年10月09日、

竣工 1933(昭和08)年11月24日、

工事費 8万5千円、

耕地面積 122町壱反(121.09ha)、

溜池面積 参町参反8畝(3.352ha)、

貯水容量 83万8200石(151203m)となっている(カッコ内換算:よしさん)。

記念碑の数値から平均水深を求める(151203m/3.352ha)と、4.5mになる。

貯水容量には、200000mと151203mの2説があり、

竣工年には、1937(昭和12)年と1933(昭和08)年の2説があるが、

@旧・吉尾村→現・鴨川市、A旧・吉尾村耕地整理組合→旧・吉尾土地改良区→

現・長狭中央土地改良区への変遷もあり、よしさんの調査範囲では、残念ながら

各々根拠は不詳。

堰は祖先が築き、引き継がれた食の、命の礎。

記録がないとすれば、堰を築造した存命の古老から聞き取り、記録をまとめ、公刊

しておくことが次代への義務ではないか。

堰の管理は長狭中央土地改良区(電話0470-97-0642)、付近は休猟区に指定されている。

流末は、板屋川から加茂川(流路延長44000m)に入り、鴨川市で太平洋に注ぐ。

鴨川市に、金山ダム・保台ダム・袋倉ダム等がある。

また、横尾堰(横尾)・山入堰(大川面)・川谷堰(成川)・北小町堰(北小町)・峰堰(太田学)・

一部堰(京田)・南小町堰(南小町)・上小原堰(上小原)・下小原堰(下小原)・峯堰(畑)・

野田堰(江見)・真門堰(江見外堀)等がある。

余水吐(近寄らないでね)

【古泉千樫生誕の地】

八丁堰に立ち、長狭の空を見上げると、なぜか先人の生活がしのばれる。

1916(大正05)年、東京からの鉄道(現・JR内房線)の終点が浜金谷だったころ。
幼子を連れ、金谷〜保田〜長狭街道・峠越〜ここ吉尾村まで、実に19kmの道のりを歩いた親子がいた。
それも冬、大晦日の帰省に。
筆者は昔、二十才のころ、佐原〜成田間、成田〜千葉間等を歩いたが、その時幼子はおらず、
距離もせいぜい25kmていどだった。
昔の人はよく歩いたものと感心するとともに、その道中を詠んだ歌にまた驚く。
『川のほとり』の「児を伴ひて」から数首を挙げる(109-119pp)。

ここにして 俥(くるま)あらねば 夜道かけ われとわが児と 徒歩(かち)行かむとす

をさな児の 手をとり歩む 道のへに みそさざい飛び 日は暮れむとす

荷車に 吾児(あこ)のせくれし 山人も ここの小みちに 別れむとすも

山の上に 月はいでたり わが児よ 父と手をとり また徒歩(かち)ゆかむ

祖父(おほちち)に はじめて逢いて 甘えゐる わが児の声の ここにきこゆる

古里の ここに眠れる 吾児(あこ)が墓に その子の姉と いままうでたり

大きなる 藁ぶき屋根に ふる雨の しづくの音の よろしかりけり

父は吉尾村出身のアララギ派歌人・古泉千樫30才、子は葉子7才。
歌の心得をもたぬわれら釣り人にもわかりやすい解題を、井落秀治氏が『鴨川風土記 第2巻』
「古泉千樫の連作・「児を伴ひて」考証」に寄せている(237-242pp)。
古泉千樫の人とその歌をもっと理解したい人には、『青牛集』(大熊長次郎跋)、及び
高弟・橋本徳寿の『古泉千樫とその歌』(斉藤茂吉序文)が戦前に発行され、本稿に紹介の
「児を伴ひて」は解説と共に掲載されている(98-104pp)。
大熊長次郎が師古泉千樫との約束を果たした経緯は、村上義威が『魚貝藻記』の
「鯛 千葉小湊 その二」で大熊長次郎「鯛 安房妙ノ浦にて」を引き(102-103pp)、本シリーズ
の「保台ダム貯水池」に紹介した。

インフラや物資に貧しい古泉千樫の時代と、片田舎に牛を飼う農家の風景を想起しつつ、
再建された生家(千葉県史跡)や、掛軸(鴨川市郷土資料館蔵)をめぐるのも一興と思う。
その時代の夏、まだ八丁堰はなく、農民が旱魃に泣いていたことは想像に難くない。

もっと知りたい貴女に
【参考文献】
よしさん架蔵書 Reference Books.
○川のほとり 1929(昭和04)年06月03日初版
古泉千樫 改造文庫第2部第57篇 改造社
○青牛集 1936(昭和11)年06月20日初版
古泉千樫 改造文庫第2部第253篇 改造社
○古泉千樫とその歌 1939(昭和14)年11月10日初版
橋本徳寿 三省堂
○魚貝藻記 1967(昭和42)年02月25日初版
村上義威 水産社
○鴨川風土記 第2巻 1992(平成04)年03月
鴨川風土記編纂委員会 鴨川市立図書館
「保台ダム貯水池」も見たい

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2003年06月01日発表 Release.
2005年10月05日一部修正
2007年10月18日一部追記
2014年08月14日「古泉千樫生誕の地」&文献追記
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