[整理番号:0127]
よしさんの『水族志』は、カバーも函もなく、いわゆる裸本だ。
持ち重りする『水族志』を手に取り、表紙中央の金箔押魚介図を、ひとしきり眺め、
表紙を繰ると驚かされる。
見返しは表裏とも青い油滴模様で、それはあたかも、良く仕立てられた背広の裏地のようにも
思われる(表紙中央に飾られた、タイ・イセエビ・ナマコの金箔押魚介図は本稿背景にモノクロ化して掲載)。
さて、『水族志』の傷み方を観察すると、
紺色布装丸背みぞつき本の、表紙天地角部にコスレ・破れがあるものの、軽傷の範疇と診断した。
しかし表裏見返しのノド部は、天地のほぼ全域で割れ、表紙を開閉するたびにガサゴソと異音をたてる状態で、
重傷と考えられた。
放置すれば、やがて表紙と中身が分離する致命傷に到るだろう。
fig.01, fig.02, 表裏見返しのノド部は、天地のほぼ全域で割れ・・
表裏見返しのノド部補修のひとつは、充て紙の貼付になるが、
特殊な模様の見返しゆえ雰囲気を保存したく、原本を抱えコンビニに走り、見返しのカラーコピーを作った。
表と裏の見返しのノドに補強紙を入れ、「まあ、こんなもんだろうライン」とし、製本修理完成とする。
fig.03 見返しのカラーコピーを作り fig.04 表と裏の見返しのノドに補強紙を入れ
fig.05 補強紙(余白カット前) fig.06 補強紙(天地カット後)
『水族志』は、扉に畔田翠山、自序に源 伴存、巻頭著書目(著作リスト)に畔田伴存で、
奥付では翠山畔田十兵衞とあり、
一本中に4つの著者名を記すことは、今日の感覚では異例かも知れない。
『水族志』に寄せた、宍戸 昌の「序」漢文を、
「丁丑の年、自分は東京の書肆にて、南紀源伴存著すところの水族志十巻を得た。
海錯700余りの名称・形状・色・味に詳しく、最精・完璧な魚介譜である。
その翌年、自分は大阪の堀田龍を訪ね、堀田が源伴存の門人であることや、
伴存は畔田氏で通称十兵衞・号は翠山または翠嶽で、紀州藩士であること、
水族志を著したほか魚介圖数巻のあること等を聞いた。
自分が水族志を示すと、これは師の自筆で今日観ることができて幸せだと、
堀田龍は驚きかつ喜んだ。
数ケ月後、田中芳男君が訪ね来て、偶然水族志を見、驚嘆賞賛し、校訂刊行し同好者に頒布を提案、
自分も大変喜んで、賛同した。
数年経ち校訂が成り、自分は序を書いた。堀田龍と河原田盛美校訂で、かつ翠山自序である。
自分は栗本鋤雲に就き、(栗本)丹州の魚譜を写した。皇和魚譜の原稿である。
その圖は多種で鮮明色だが、今、在るのは僅かで、残念である。
もしも翠山の魚介圖を得られるなら、丹州圖と併せ公刊し完璧としたく、この序に概略を記すものである。
明治十七年九月 碧海釣徒 宍戸昌識」と、読んでみた。
著者畔田翠山は、1859(安政己未06)年没、その後翠山の資料は売却され散逸し、
「丁丑の年」1877(明治丁丑10)年に東京で宍戸 昌が発見購入、
「翌年」1878(明治戊寅11)年、大阪で水族志稿本十巻と著者が確認され、
『水族志』は1884(明治甲申17)年、発行された。
著者没後、稿本発見に至る18年間にも、多くの人目に触れたことだろう。
水族志稿本十巻は、「愛書家・宍戸 昌が、東京の古書店で発見した」と巷間伝わる。
けれど、宍戸 昌が『水族志』に寄せた「序」等から、宍戸は単なる愛書家ではなく、本草学に関心を持つ、碧海釣徒、つまり
釣り人であったことが知れる。
それは至極当然のことで、魚や釣りに興味のないものが、古書店を訪れても、魚や釣りのコーナーに立ち止まる筈もなかろう。
よって、より正確には、水族志稿本十巻は、「釣り人で且つ愛書家の宍戸 昌が、東京の古書店で発見した」と、
我ら釣り人は若干の誇りを持って語ることを許されよう。
書庫で未整理本をチェックしていたら、『幼稚園用本 動物図解(全)』という稿本を発見した。
もっと魅力的と感じた別の数冊とともに、以前求めたものと、ようやく思い起こした。
柿色表紙の和本で著者は片山直人、獣類鳥類魚類を解説しており、図解と題しているが図はない。
さて、『幼稚園用本 動物図解(全)』には2ケ所に印記があり、一つは「宍戸氏文庫第2641号」
二つは「宍戸昌蔵書記」で、毛筆手稿本中には朱筆添削が見える。
植物・竹類の大家片山直人の手稿本を宍戸昌が(誰かに託して)出版しようとしたものとも思えるが、
『幼稚園用本 動物図解(全)』の刊本は、見当たらぬようだ。
ともあれ、宍戸昌旧蔵本が今日よしさんの蔵書となったことに奇縁を感じる。
fig.07 『畔田翠山伝 もう一人の熊楠』と『水族志』
畔田翠山の生涯は、銭谷武平が『畔田翠山伝 もう一人の熊楠』として伝記をまとめている。
『畔田翠山伝 もう一人の熊楠』の帯(腰巻)に、「
生態学的視点に立ったナチュラリスト、紀州が生んだ孤高の本草学者、隠れていた巨人の復活を願い、幕末の博物学者の全体像を紹介する。」とある。
南方熊楠は「これは余程すぐれたる人と感心致候」、上野益三は「紀州が生んだエンサイクロペジスト」と評している。
著者・畔田翠山没後25年、1884(明治17)年発行の『水族志』を、
南方熊楠は、大学予備門時代の1885(明治18)年に購入し、活用したという。
畔田翠山の人物と『水族志』他の学問的価値については、
『日本博物学史』の「京都と紀州の博物学」(165-175pp)に、上野益三が詳述している。
また、上野益三の『日本動物学史』「栗本丹洲の動物学」(362-370pp)には、丹洲の没後4年の1838(天保9)年に出版された『皇和魚譜』2巻の記述がある。
曰く「巻の二の河海通在魚には、ナヨシ鰡魚、メナダ青魚、スズキ鱸魚、エツ■■、
サケ鮭、マス鱒魚、ウグヒ、ミゴヒ、ワカサギ公魚、シラウヲ、ヒウヲ、ハゼ蝦虎魚、ムツゴロウ泥猴魚の
一三種を図説している。」とあり、丹洲も1834(天保5)年以前に、ワカサギを入手していたことが判明する。
丹洲は江戸神田生まれで、寛政・文政・天保を通じ幕府医師であったから、写生に用いたワカサギは将軍家斉からの計らいかも知れぬと、
想像を巡らせるのも楽しい。
水族志稿本十巻の発見と『水族志』刊行は、釣り人として二重に嬉しく、『水族志』の刊行が後の『古名録』刊行へ続き、畔田翠山の
再発見・新評価・従五位顕彰へと連なったことは、喜びに堪えない。
今回は、フナ釣りファンのために
『水族志』「第七編 淡水有鱗魚類」から「フナ(魚編に即)」を紹介しよう。
fig.08 『水族志』の「フナ(魚編に即)」(クリックで拡大 click here to enlarge.)
『水族志』に記された735種(現代風なら257科・478変種とでも言おうか)の内、「フナ」だけからも、畔田翠山の博識ぶりが、うかがえるであろう。
巻末に綴じ込まれた正誤表の他、中身(水族志本体)に直接張り紙修正された箇所は、以下の通りだ。
場所 | 内容 |
序 7ページ最終行 | 「名」 |
目録7ページ中段6行目 | ゴザアヂの項 「一一七」 |
目録16ページ中段7行目 | スゞキの項 「二一九」 |
6ページ10行目 | 「クマノミ」 |
8ページ11行目 | 「イハシナベ」 |
92ページ3行目 | 「○チ」(丸の中にチ) |
160ページ7行目 | 「○ワ」(丸の中にワ) |
294ページ上欄外 | イサゝの項 「二三八」 |
1884年の発行から126年が経過し、糊が劣化し紙が剥がれた可能性も考えられ、
個人蔵書家・大学図書館・博物館・古書店等、思い当たる諸兄は、急ぎチェックされたし。
よしさんの所蔵する、著者・題名不詳の手書き稿本(仮題:魚譜)については、後日、本欄を借りて紹介したい。
【謝辞】
(special thanks Mr S.watanabe and hi's Grandfather, yoshisan.)
【参考文献(よしさん架蔵書)】
※01『水族志』翠山畔田十兵衞 1884(明治17)年09月28日 5+4+7+4+19+316+33p 田中芳男 95銭
※02『幼稚園用本 動物図解(全)』片山直人 1889(明治22)年03月序 稿本和装 印記:宍戸氏文庫第2641号・宍戸昌蔵書記
※03「京都と紀州の博物学」『日本博物学史』上野益三 1948(昭和23)年01月10日 165-175pp 星野書店(京都市) 75円
※04「栗本丹洲の動物学」『日本動物学史』上野益三 1987(昭和62)年01月16日 362-370pp 八坂書房(東京)13000円
※05『畔田翠山伝 もう一人の熊楠』銭谷武平 1998(平成10)年08月21日 第1版 305p 東方出版(大阪市) 2800円+税
※06「畔田翠山と熊楠〜紀州本草学の系譜〜」南方熊楠資料研究会 安田忠典(南方熊楠の学際的研究 プロジェクト南方熊楠に学ぶ第2回)
※07『図書館の製本』 古野健雄 1972(昭和47)年02月15日第1刷 239pp 日本図書館協会 600円
※08『製本ダイジェスト』牧 経雄 1972(昭和47)年09月01日第5刷 140+5pp 印刷学会出版部 250円
【注】
『水族志』から本稿への、写真複製・有線送信・本HP掲載公表は、
「ベルヌ条約」及び「万国著作権条約」並びに国内法「著作権法」を踏まえた合法行為です
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