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今回も続けてマンガの話。
もしもあなたが、いしかわじゅんが「漫画の時間」(1995、晶文社)でいうように、
<漫画というのはレベルの低い連中が描いているレベルの低い連中向けの
メディアだと思っている人>
なら、本稿はパスしてもかまわない。
よしさんは、そうは思っていない。むしろ、見えるように示さなければならない点で、
小説などの文章メディアより、多く観察眼や描画力、素質が要求されるのがマンガである。
そこに音響効果を加えれば、よりエンターテイメントなアニメーションの領域に達するから、
ストーリーを追うことに重点を置く小説などに較べて、力量が問われるのは明白であろう。
それでいて社会的地位の高い人が少ないのが、マンガ作家のようであり、これは不当な現象だと思う。
ある作家の全作品をコレクションしているマニアからすれば、よしさんなど駆け出しの入門者と
同然だろうが、
自然派・釣りマンガの世界で、よしさんが贔屓にしている2大作家といえば、
矢口高雄と青柳裕介である。
秋田県出身の矢口高雄のアマチュア・デビュー作は、「長持唄考」(1969年、ガロ4月号)。
プロ・デビュー作は、「鮎」(1970年7月、少年サンデー、小学館)だったと、
「釣りキチ三平の釣れづれの記」の中でご本人が懐述している。
巨匠のますますの活躍を期待したい。
そして、青柳裕介。
生まれ育った土佐の自然と、海に暮らす人々の心情、男の生き方を生涯一徹に描きつづけた、
今は亡き、イゴッソウ・青柳裕介。
もっと長生きして、たくさん作品を発表してほしかった。
デビュー作「いきぬき」(1967年、COM9月号、虫プロ商事)は、
「陽炎」に収録されている。が、なにぶん古く入手困難と思われる。
文庫版の「マンガ黄金時代−’60年代傑作集」(1986年、文藝春秋)
にも掲載されており、こちらの方がいくぶん探しやすいだろう。
マンガ。
とっつきやすく、喜怒哀楽を運んでくるもの。
時に涙し、希望さえ見えてくるもの。恐るべしメディアだと思う。