しかし今は事情が変化し、エレキとデプスファインダ−と携帯電話が、現代の釣り人にとって、「新・3種の神器」となっている。
エレキ(電動小型船外機)は、推進力が12ボルト24ポンド程度から、24ボルト仕様へ、ついには船首から水しぶきを上げ、引き波を起こす36ボルト107ポンド(バッテリ−3ケですぞ)級迄が使用される世界になってきた(そんなに急いで、どこへ行くのかね)。
デプスファインダ−も、進化(商品開発)が著しく、最新型の一種では、GPSとの組み合わせで位置の誤差1m程度の精度を誇る製品も市販されている。「イイ思い」をした場所をメモリ−しておき、次回もピタッとその場所に、たどりつけるという、触れ込みだ。画面は当然カラ−である。携帯電話も、初期の肩掛け鞄サイズが、あれよあれよで100g程度に小型・高機能化され、シャツの胸ポケットに2台も納まることになった。価格もあって無きがごとく、100円やらタダ(無料)も出まわる時代。NTTドコ○の通信エリアは、亀山湖もカバ−していて、湖面の有名ポイントにいて(舟上から)、別のポイントを攻める仲間と、リアルタイムに情報交換が可能になった。
「3種の神器」と、「新・3種の神器」。さらに「新々・3種の神器」で、釣り人はいよいよ効率の良い武器を手にした。
将来、釣り人は「新々々・3種の神器」をも開発・入手するだろう。対する魚は、昔も今も不変。身を守るのは本能だけである。それでいて、いつでも釣り人の全勝が保証されないのは、なぜか。心ある釣り人は、そこに思いを馳せねばならないことに気付く。本能からあまりにも遠く離れた日常を暮らすわれらは、理論と科学的手法こそ万能だと信じている。
が、道具は道具にしかすぎず、神器も神器にしかすぎない(いかなる物=ハ−ドウェア=にも限界がある)ことを知っていることが重要だ。ハ−ドウェアの導入は実に簡単である。それなりの対価を投入すれば、即日で揃えられる。
それを使い・あやつるのは、釣り人の思考・考え方、つまり頭脳でありソフトウェアだ。ソフトウェアの充実は困難な道と言えるが、それなくして恒常的釣果は望めない。あらゆる機会をとらえ、多面的な学習をするために、時間と費用を惜しみなく注ぎ込むことにより、はじめてソフトウェアの充実が計れるものと意識して、努力が必要だ。
一般にトレ−ニングは、精神論だけでは成らず、科学的手法の導入が大切と叫ばれている。自然に生きる生物を相手とする狩猟や釣りに関しても、基礎部分においてその原則に賛同できる。しかし頂上部分迄の万能さはない。より完全を期すなら、究極は基礎の上に築かれた経験と感、知見に基づく予想が決め手となる。なぜなら、相手もまた命ある生物だからである。
高機能な道具に依存しすぎず、もっと本能に忠実な釣りをしたい。君よ、野生に環れ。