河川が水たまりに流入し、水没河川となり、釣り人にリバ−チャンネルと呼ばれようとも、「水の道」は、いつ迄も「水の道」。
渇水、大減水の時も、逆に増水時も、水は「水の道」を通るのだ。それは当然と言えば当然なのだが、我らは狩猟の生活から離れ、農耕の生活からも遠ざかって久しい。平和ボケした「都会人」、「会社員」と呼ばれる人種なのだ。遠い祖先や、優秀な兵士(アウトドア−ライフの達人)には常識であった自然現象と、対処方法を経験する機会も少なく、従って野に暮らす知恵を忘れつつある。
大雨・洪水警報の発令下、「水の道」にテントを張って、寝てしまう輩の所業を、「キャンプ」と呼んでは、「キャンプ」(という単語そのもの)に失礼だと思うし、「キャンプ」の関連団体もさぞかし迷惑だろう。神奈川県下の例では、「何でもっと早く、救助せんのかというふうに報道された」救助・捜索者側こそ、本当の被害者というべきかも知れない。けれど「水の道」に寝た彼らも、我らと同類の「都会人」、「会社員」なのだ。
局地的豪雨では、低地や谷間の自宅も安全とは、言い難い。水は「水の道」を忘れない。アウトドア−でなくても、土石流・堤防の決壊・排水ポンプの故障や能力限界により、人は英知を試される。