火の道・水の道 Trajectory & the Path of Water.

ODL・ト−ク Outdoor Life Talk

今回のテ−マ
火の道・水の道
Trajectory & the Path of Water.
[整理番号:0033]

火の道

兵士の俗語に、「火の道・水の道」がある。

よしさんが友人の中隊長から、この言葉を学んだのは、もう、大分以前になる。

「火の道」とは、火器の弾道である。曲射を除いて、射撃の弾道は通常直線であって、「火の道」に位置することは、自身が標的になることであり、それは死を意味するから、兵士はいつも「火の道」に警戒を怠らない。

野営するにも、アマチュアのキャンプとは違い、プロは命が掛かっているのだから、幾つもの意味で慎重に場所を選ぶのは当然だ。

さえぎる物がない。直線で見通し。身を隠す物がない。こういう場所は、兵士なら危険と判断し、とどまる筈もない。

場所を地上から、水中に置き換えて考えて見よう。

水中で、さえぎる物がない。直線で見通し。身を隠す物がない。そういう場所で、本能は魚に、どういう行動・指示を出すだろう。そんなふうに考えると、釣りも面白くなる。

教外別伝

水の道

「水の道」とは、低きから、より低きを結ぶ道。水が進む道。地上では窪み、溝、谷、支流、河川。「火の道」に対して「水の道」は安全だ。弾が飛んでこない。兵士が這う、匍匐前進のコ−スでもある。

水がなくても、「水の道」は「水の道」。降雨があれば、たちまち目に見える「水の道」となる。

地表の「水の道」は集合し、やがて河川となる。

落水すると、声は出ないものです

河川が水たまりに流入し、水没河川となり、釣り人にリバ−チャンネルと呼ばれようとも、「水の道」は、いつ迄も「水の道」。

渇水、大減水の時も、逆に増水時も、水は「水の道」を通るのだ。それは当然と言えば当然なのだが、我らは狩猟の生活から離れ、農耕の生活からも遠ざかって久しい。平和ボケした「都会人」、「会社員」と呼ばれる人種なのだ。遠い祖先や、優秀な兵士(アウトドア−ライフの達人)には常識であった自然現象と、対処方法を経験する機会も少なく、従って野に暮らす知恵を忘れつつある。

大雨・洪水警報の発令下、「水の道」にテントを張って、寝てしまう輩の所業を、「キャンプ」と呼んでは、「キャンプ」(という単語そのもの)に失礼だと思うし、「キャンプ」の関連団体もさぞかし迷惑だろう。神奈川県下の例では、「何でもっと早く、救助せんのかというふうに報道された」救助・捜索者側こそ、本当の被害者というべきかも知れない。けれど「水の道」に寝た彼らも、我らと同類の「都会人」、「会社員」なのだ。

局地的豪雨では、低地や谷間の自宅も安全とは、言い難い。水は「水の道」を忘れない。アウトドア−でなくても、土石流・堤防の決壊・排水ポンプの故障や能力限界により、人は英知を試される。

水の上は、本来、人がいるところでは、ありません

備えよ、常に

釣りは手軽に自然環境に親しめるレジャ−だ。人は地球環境にやさしく、振る舞おうとする昨今だが、自然はいつも人にやさしいとは限らない。自然環境が自然に振る舞うとは(ある条件下において)、強風・豪雨・出水・洪水・崖崩れ・落石が発生することだ。

自然は自然の力を知り、備える者に安全を与え、自然の力を知らぬ者、侮る者に危険をもたらす。

非常識な輩だと、非難するだけでは始まらない。明日は己が、危険な場面に身を置くことすら、あり得るのだ。尊い人命を教訓として、「火の道・水の道」を意識した、自然との付き合い方を忘れまい。

リリ−スすれば・・・
Updated.1999年10月01日発表
http://www.mmjp.or.jp/lake-champ  Back to ODL Page. Copyright by yoshisan