釣りは、釣果をボ−ト店のノ−トに書いて終わる。
釣果を書き込みつつ、他の釣り人の釣果をチェックして見る。
「ああ、あのポイントで釣ったのか」とか、
「今日は自分の試さなかった、メタルジグが効いたのか」と、
教えられることも多いもの。
「フムフム、ということは、本日のデイ・チャンプは、私なんだな!」
そんな場面も、(たまには)あるでしょう。
これが、症状第1段階の、ボ−ト店デイ・チャンプ。
さてさて。
翌日の楽しみは、そのボ−ト店がネットしているスポ−ツ新聞の
釣り欄にある。
(ボ−ト店は、おおよそどこかのスポ−ツ新聞に情報提供している
ものです)
朝のキヨスクで、日経を買わず、お目当てのスポ−ツ新聞を買う。
一面のプロ野球やサッカ−記事には、眼もくれず、
いきなり釣り欄を見る。
海釣り情報に押しやられた型で、あった。ありました。
昨日の○▲湖●■ボ−ト店の釣果が!
しかも、竿頭は、私ではないか!
たったの1行ではあるが、○◎市の△△氏とは、この私のコッチャ!
ええい!頭が高い!
ヒカエオロ〜ッ! (ンッ?)などと、
思わず辺りを見渡してしまう(経験ありますよネ)。
ついで、他の湖の釣果をチェック。
すると、他の湖を合わせても、昨日の大物は自分だけだったことが
判明。
これが、症状第2段階の、スポ−ツ新聞デイ・チャンプ。
ウフフッと、本人は微笑んでいるつもりでも、ひとさまから見れば不気味。
だって、イイ大人が一人でニヤケテいるのだから。
そういう心の安静も、決して永くは続かないもの。
当然、他にもスポ−ツ新聞があること。
そして、そのスポ−ツ新聞には、別のボ−ト店がネットされていることに
アナタは、気がつくでしょう。
釣りの翌日、今度は全スポ−ツ新聞を買っているアナタの姿が、キヨスク
の前で、見られることでしょう。
釣り欄でバス部門を睨みつけるようにチェックし、昨日の(例えば)関東一円
におけるデイ・チャンプだった可能性が高いことを知り、三度安心する。
それが、症状第3段階の、関東一円デイ・チャンプ。
こうして、病気は進行して行く。
次第に、釣っただけではもの足らず、釣れるのは当たり前、
デイ・チャンプを何回、獲るか。
と、気持ちは変化して行く。
一人でも、自由にエントリ−できるから、なお始末が悪い。
ここに至って、症状は最悪の第4段階となる。
そこが恐い。
釣れればよい、という態度だけに、なりがちだからだ。
魚を、他人を、自然を、万象を思いやる心が、萎縮し、
どこかへ置き忘れられてしまいそう。
そこが恐い。
それが、よしさんの憂い。
我先ではなく、根こそぎでもない、自然と調和した釣り。
当然ではなく、感謝しつつ、楽しませて頂きます、という釣り。
己の小さきを知る、謙虚な態度。
それが、よしさんの願い。