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| 0101 |
| 海老敷第1堰(えびしきだいいちせき)ebishiki-daiichi-dam. |
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| 千葉県安房郡三芳村海老敷字広田 |
1地形図 | 安房古川7233、7243 |
分 類 | 溜池(灌漑用) |
別 称 | 広田堰、広田貯水池 |
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JR内房線那古船形駅より、北東へ約8Km。 内房・東京湾沿いの国道127号線を南下し、館山バイパスで館山市に入る。 1500m先、那古小学校前の信号左折、県道296号・和田丸山館山線に入り、 500m先、正木の信号(左ト)を左折・東進。平久里川(へぐりかわ)を渡り、三芳村に入る。 三芳病院の信号を越え、道なりに東進。約400m先(信号なし)で左折・北東進。 田園地帯を2100m進むと、海老敷のカーブになる。橋の手前から左折・進入。 |
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| 40,000m2(4.0ha) |
| 15.0m(推定) |
| 308,000m3 |
| 0.8Km2 |
| 1927(昭和02)年 |
生息確認年月 | 2003(平成15)年03月05日 |
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貸しボート・売店・トイレなし。 |
Special Feature | 海老敷第1堰への林道は、最奥の民家先で舗装がなくなる。 |
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土に石と砂利のエグレた道を登るほかなく、最低地上高の高い車両が適している。 シャコタンでは腹を打つし、降雨時なら二輪駆動はリスキーだ。 水色は通常ややクリアー、大雨だと灰青色に濁る。 水面はオープンだが、アプローチは堰堤に限定されよう。 堰の周囲は常緑広葉樹と藪におおわれ、東側の林道からの釣りは水面との比高が あって難儀である、右岸(西岸)の状況は未知数。 ボトムは砂岩・粘板岩・土・泥、インレット(流入部)・ワンド等のストラクチャーがある。 堰堤横に数台なら駐車できるが地面は水平ではない。 |
history. | 海老敷第1堰は溜池のイメージとははなれ、実態は山のダム湖を思わせる。 |
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谷を東西にせき止め、湖水は北東にのびる。 堤体の形状は、谷を東西に締め切る一文字型のアース式で、土盛りである。 堤頂高16.7m、堤頂巾4.0m、堤頂長57.0m、堤体積19000m3。 総貯水容量・有効貯水容量は、308000m3である(古い時代の農業用溜池で、総貯水容量と 有効貯水容量の区別が不明確のままだ)。 取水設備は堰堤になく、西(右岸)のワンドにあるが、危険なため、立ち入りは禁止されている。 形状が恐怖の垂直・吸込穴+底部横トンネルであるため、落ちれば負傷するし、たとえ無傷 でも上がることなど絶望的であろう。 水の落下してくる暗く深い穴の底で叫べども、周囲は山、最短の民家へは900mもあって、 本当にコワイのだ。 |
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隣町・丸山町の一の沢溜池も同様の構造で、堰は当然農業用に設計されており、構造に 無知な都会の釣り人が、レジャーという別の目的で利用するには向かないものと心得よう。 陸ならまだしも、水面を人が移動する前提で作られ、管理されてはいないのだから。 堰の管理は国府第一土地改良区、付近は三芳鳥獣保護区に指定されている。 海老敷第1堰の流末は、海老敷川から平久里川(流路延長19900m)に入り、館山市で 館山湾に注ぐ。 戦後の平久里川におけるハヤ釣りの様子は、大橋青湖の『釣の風景』 「房総平久里川上流のハヤ」(77pp)に、紹介されている。 三芳村に、海老敷第2堰・山間堰・増間ダム等がある。 |
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海老敷(旧国府村)一帯の表層地層は、千葉県で南部にのみ見られる新第三紀層に属し、 強い地震に弱い難点がある。 1923(大正12)年9月の関東大震災は、旧国府村で震度6以上とされ、家屋倒壊・出火の 被害が広範囲に及んだと云う。 「不許葷酒入山門」(くんしゅさんもんにいるをべからず)と、禅宗寺院共通の碑が建つ曹洞宗 長谷山延命寺は三芳村本織にあり、1520(永正17)年、里見実尭の開基とされる。 1784(天明04)年に江戸の絵師・江府宗奄が描いた地獄極楽絵図16幅(延命寺所蔵・ 村指定文化財)は、例年08月16日一般公開され、死後の世界・地獄の様相を伝えている。 児童向けに「絵本 地獄」が刊行され、与えられた命の大切さを教えている。 山奥の野池に、処女地・大物というロマンを求めて釣行するのもよいけれど、準備不足や 不注意がかさなれば、時には命とひきかえになりかねない。それほどの価値はあるまい。 そういえば英語でも、go to hole と go to hell は、似ていてイヤダネ。 |
Reference Books. | ||
○『釣の風景』大橋青湖 | 1958(昭和33)年09月10日 | |
スポーツ新書82 ベースボール・マガジン社 | ||
○絵本 地獄 | 1990(平成02)年11月15日13刷 | |
風涛社 |