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| 0098 |
| 浅間堰(あさませき)asama-dam. |
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| 千葉県いすみ市岬町中原字西吉附 |
1地形図 | 上総長者5911,5912 |
分 類 | ため池(灌漑用) |
別 称 | なし |
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JR外房線太東駅より、南東へ約2700m 国道128号線を下り、岬町に入り南下。 太東漁港入口信号直前(Y字路)を右折、 250m先のY字路を右に入れば、堰。 |
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| 50,000m2(よしさん推定) |
| 約1.2m(よしさん推定) |
| 42,200m3 |
| 不詳 |
| 原型は江戸時代の築造 |
生息確認年月 | 2002(平成14)年10月10日未確認 |
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貸しボート・トイレ・売店なし。 |
Special Feature | 太平洋に面する太東漁港から500mの距離に位置する堰。 |
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全面的に蓮が栽培されており、オープンな水面は少ない。 南岸には道路もあり、アプローチは容易だ。 浅間堰の水色は、かなりマッディー。 ボトムは泥。しかし、南岸のヘチ一帯は砂である。 東南岸は、コンクリート垂直護岸、南岸の一部はアスファルト斜め護岸、 南岸の多くは土盛り。 東〜南岸の足場はおおむね良い。 アメリカザリガニとコイが生息。BASSとブルーギルは未確認。 水抜き時に見えた魚は、コイだけだから、他の魚種は当然釣れないだろう。 |
history. | 1883(明治16)年04月測量の2万分の1迅速図に、浅間堰が描かれている。 |
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現代の地形図と比較しても、堰の位置や形状に大きな変化は、ないようだ。 よしさんが、湛水面積を2万5千分の1地形図から計算すると、 堰の北側で約30,000m2、最深部を含んだ堰の南側で約20,000m2となり、 合計約50,000m2である。 2002年10月の水抜き時の目視では、水深は堤頂高(=道路面)までの最大でも 1.5mに過ぎない。 実際には平均的な有効貯水水深は0.8m、堰の南側の最深部で1.2mであろう。 以上から、最大貯水容量を机上計算すれば、北側(30,000m2×0.7m)+南側 (20,000m2×1.0m)=41,000m3弱と推定できる。 岬町史では、堤高1.5m・堤長150m・貯水量42,200m3とされ、有効貯水量は、 まずそんなものであろう。 明確なインレット(流入部)はなく、南西と東端から流出する。 流末は夷隅川(流路延長67.5km,流域面積299.4ku,/別項参照)に入り、太平洋に下る。 浅間堰の受益面積は14.0ha、管理は太東第二土地改良区・中原区である。 なお、付近一帯428haは、千葉県により椎木堰・中原堰鳥獣保護区(2001年11月 01日〜2011年10月31日)に指定されている。 |
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太東はアワビでも近代から有名になった。 本格的な水産業としての発端は、1885(明治18)年07月の機械根(アワビの宝庫) の発見に始まるとされる。 太東埼付近の海図を見ると、水深50m未満の海域が沖合い20kmまで続くことが判る。 太東埼〜八幡埼(大原町)沖合いには、 【☆1】水深20m未満の海域は、太東埼東方に著しい(沖合い11kmまで)。 【☆2】水深50m未満の海域に、水深20m未満の浅場(礁)がある海域は、太東埼〜 八幡埼間に著しい、等の特徴があり、個々の浅場は根・出シ・モタレと呼ばれている(詳 細は別項「昭和堰」参照)。 この一帯の総称が機械根(器械根)であり、潜水器船の潜水夫によるアワビ漁業からの ネーミングである。 本稿は機械根におけるアワビ漁業の歴史・漁業者間の確執・専用漁区の拡大等の詳述 を目的としていないので、興味のある方は、参考文献をご覧頂きたい。 |
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アワビを食用とした歴史は、日本書紀以前からと思われ古い。 下って1831(天保辛卯02)年、江戸の外科医・武井周作の『魚鑑』(ウオカガミ)あわび の項には、「(前略)今猶諸国これを出す、就中伊勢志摩安房上総より、出るもの 大なり(後略)」と見える(巻之下ノ二十一丁裏)。 1978(昭和53)年、復刻版の『魚鑑』あわびの項には、 「(前略)今猶諸国これを出す、就中(なかんづく)伊勢志摩安房上総より、出るもの 大なり(後略)」と見える(86pp)。 またアワビは水深50m以内の浅く、水が澄み、潮の流れの良い岩礁を好むとされ、代表的 漁法に海女の素もぐりがあって、今も鳥羽の国崎や房総の白浜が知られている。 これらの地は、前出の江戸期の産地と、よく符合している。 ベテランの海女が、もぐるのは15尋程だから、その先は文字通り手つかずの領域だ。 潜水器以前は素もぐりの世界だから、そこに資源があっても、その存在が判らない。 たまには魚網に掛かり、ウスウス判ったとしても、ではどうすれば良いのか、有効な(漁獲) 方法論を見いだせない時代が明治まで続いた。 これを、我が身の回りに適用すれば、「確立された従来法ではなく、新しい発想・思考パタ ーンと方法論で試してみよう」との教訓が、この歴史から学べる。 海底の地形から、太東はアワビの国・蛸の国であると解かったが、ならば、何億年も続けて 和泉浦(岬町)・日在浦(ひありうら・大原町)と続く、約5kmの浜へ産卵にくるアカウミガメと の、捕食関係は、どうかなどと新しい疑問も浮かんできた。 やっと、ひとつを知れば、その先に幾つもの疑問が湧き出て、嬉しい悲鳴を上げるばかりで ある。 これだから勉強は楽しいのだ。 ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ 夷隅地域には、369ケ所の、ため池があるとされ、その内、岬町に、三門堰(三門/みかど) ・大正堰(和泉・別項参照)・亀ケ城(中原堰・別項参照)・鶴ケ城(椎木堰・別項参照)等、 59ケ所の、ため池がある。 |
よしさん架蔵 | Reference Books. | |
○魚鑑(武井周作) | 1831(天保02)年 | |
2巻 | ||
○2万分の1迅速図(長者町) | 1883(明治16)年04月測量 | |
陸軍参謀本部 | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○魚鑑(武井周作) | 1978(昭和53)年03月15日初版第1刷 | |
生活の古典双書18 株式会社八坂書房 | ||
○食物ことわざ事典 平野雅章 | 1978(昭和53)年12月01日第3刷 | |
文春文庫196−1 株式会社文芸春秋 | ||
○岬町史 | 1983(昭和58)年05月31日 | |
岬町史編さん委員会 岬町 | ||
○5万分の1海底地形図(太東埼) | 1986(昭和61)年03月28日 | |
海図番号6366号7 海上保安庁 | ||
○20万分の1海底地形図(房総半島東方) | 1988(昭和63)年01月14日 | |
海図番号6366号 海上保安庁 | ||
○大原町史 通史編 | 1993(平成05)年03月31日 | |
大原町史編さん委員会 大原町 | ||
○千葉県鳥獣保護区等位置図 | 平成14年度 | |
千葉県環境生活部自然保護課 |