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| 0096 |
| 昭和堰(しょうわせき)shouwa-dam. |
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| 千葉県いすみ市(旧夷隅郡岬町)和泉 |
1地形図 | 上総長者5912,5922 |
分 類 | 溜池(灌漑用・防火用) |
別 称 | なし |
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JR外房線太東駅より、南東へ約2700m。 国道128号線を下り、岬町に入り南下。太東漁港入口信号を過ぎ、 1000m先の左が堰。 |
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| 22,000m2(よしさん推定) |
| 約2.1m(よしさん推定) |
| 不詳 |
| 不詳 |
| 原型は昭和年間の築造。現状は1981(昭和56)年03月。 |
生息確認年月 | 2002(平成14)年10月10日確認 |
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貸しボート・売店・トイレなし |
Special Feature | 太平洋から300mの距離に位置し、南北に伸びる堰。 |
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北半分の水面には、蓮が栽培されている。 また南の水面は、菱藻が繁茂しており、オープンな水面は少ない。 堰の北にはマンション、東はキャンプ場、西と南には民家がある。 東岸以外の3方向には道路もあり、アプローチは容易だ。 昭和堰の水色は、かなりマッディー。ボトムは泥。 護岸は、コンクリートブロック斜め貼り・土盛りからなる。 足場はおおむね良い。フナ・コイ・ブルーギル・カイツブリも生息。 BASSは25cm程度と小型で、絶対数は少ないようだ。 ベジテーションのポケットを狙うのが、昭和堰でのセオリーと見た。 しかし、大のオトナが、シャカリキに狙う釣り場ではあるまい。 |
history. | 堰の銘々は、築造時期(昭和時代)に由来する。 |
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1883(明治16)年04月測量の2万分の1迅速図を見ると、昭和堰のあるべき場所には水田が 広がっており、堰はまだない。 また、現国道128号の西方(厚徳寺の北側)に、中原堰の半分程もの水面積をもつ、大きなため池が ある(字・清附)。 この大きなため池(当時の名称は不詳)が水田化され、近隣に昭和堰が築造されたものと推定される。 昭和堰は、1978(昭和53)〜1980(昭和55)年度に、千葉県の老朽ため池等整備事業により 改修された。 大原土地改良事務所発表の有効貯水容量は、67,500m3とされる。 よしさんが、湛水面積を2万5千分の1地形図から計算すると、約22,000m2となり、水深は、 現地でルアーをボトムまで沈めて実測した値0.5mに、水面〜堤頂高の1.6mを加算しても 2.1mに過ぎない。 したがって、貯水容量は、46,200m3(22,000m2×2.1m)と計算できる。 67,500m3であるためには、さらに(67,500−46,200=)21,300m3が必要で、 それは平均水深に換算すれば、約1m相当となるから、最近の20年間に、ボトムに泥が1mほど堆積 したものと、推定される(ボトムの泥質は、蓮の栽培・菱藻の繁殖と良く符合)。 ゆえに、現在の昭和堰の有効貯水容量は、46,200m3を下廻る程度と推定する。 明確なインレット(流入部)はなく、南西に老朽化した尺八がある。 南端から流出し、流末は夷隅川(流路延長67.5km,流域面積299.4ku,/別項参照)に入り、 太平洋に下る。 昭和堰の管理は太東土地改良区・和泉区で、受益面積は23haである。 付近一帯428haは、千葉県により椎木堰・中原堰鳥獣保護区(2001年11月01日〜2011年10月 31日)に指定されている。 |
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「太東の蛸は味がよいことで有名」で、「千葉県の蛸を代表するものは太東の蛸であろう」と、 清水 豊は著書・岬町文化史年表の序文に書いている。 この話に興味が湧き、蛸(マダコ)の本場、水揚高全国一の播磨灘と比較して見た。 かの地(通称・鹿の瀬漁場)では、兵庫県の播磨海区5漁協と淡路海区4漁協とで、年間1561.8トン の漁獲があった(昭和35年)。 鹿の瀬漁場(またの名を蛸の国)の平均水深は約20m、東西20km・南北5kmの範囲に、水深1.8m・ 5.0〜9.1m・8.2〜10.0m・3.2m等の、山で言えば頂に相当する浅場(礁)がある。 そのため大阪から西に向かう航路は、明石海峡を抜けた後、鹿の瀬漁場を迂回、いったん南下し、 その後、西へ舵を取る。 蛸の国の漁法は蛸壺漁で、古く石器時代から使用されていたらしい。 大分県・姫島に明石産の蛸壺が伝わったのは、安政年間(1854〜1859)の記録がある。 |
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一方、当地太東の漁法も蛸壺漁法であるが、太東へは慶長年間(1596〜1614)、紀州から 移入されたという。 太東埼付近の海図を見ると、水深50m未満の海域が沖合い20kmまで続くことが判る。 太東埼〜八幡埼(大原町)沖合いを詳しく調べれば、地形的に4つの特徴が把握できる。 【☆1】水深20m未満の海域は、太東埼東方に著しい(沖合い11kmまで)。 【☆2】水深50m未満の海域に、水深20m未満の浅場(礁)がある海域は、太東埼〜八幡埼間に著しい。 例えば、新根(水深11.4m)・大谷の勝浦出シ(11m)・森出シ(16.5m)・渡場モタレ(13.3m)・ 北ウスモタレ(11.1m)・大谷モタレ(12.6m)・大谷ノツノ(17.0m)・トンビサキノ高根(12.4m)・ 障子根(15.4m)・焼場モタレ(12.2m)・半年堂モタレ(19.0m)・ボラモタレ(24.6m)であり (北の礁群)、官軍出シ(18.4m)・黒森出シ(14.0m)・金テコ出シ(24.0m)である(南の礁群)。 【☆3】しかし、この浅場(礁群は、北の太東埼礁群と、南の八幡埼礁群に大別できる)間に、礁のない ゾーンが明確に存在している。 そのゾーンは水深1000m以上の深海から、和泉浦・日在浦へと続いており、あたかも海底の道の ように見える(帯状で水深50m地点の巾1000m〜北西へ伸びて巾2000m〜和泉浦・日在浦の 海岸線5000mに開く、平面は、いわゆるラッパ型を呈す)。 【☆4】浅場(礁)の軸方向は、正確に北東〜南西に偏している。 * * * このように、海底の地形から考えると、太東もまた蛸の国であるとうかがえるが、漁獲高からは、 一国を成すに至らず、蛸の国・太東支部といった程度であろうか。 「味」については、残念ながら報告するに足る経験がなく、機会があればぜひ堪能したいものだ。 ついでに触れておけば、蛸が逃げないよう蓋のあるトラップ式蛸壺が、1935(昭和10)年頃、千葉県 館山市の杉山新蔵氏により考案されたという栄誉を房総は持っている。 前述・海底の道をガイドラインとし往来するものが、クジラやアカウミガメかと思いを馳せれば、 夷隅川河口の生物界の多様性も、またうなずけよう。 |
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夷隅地域には、369ケ所の、ため池があるとされ、岬町に、三門堰(三門/みかど)・大正堰(和泉・ 別項参照)・浅間堰(中原)・亀ケ城(中原堰・別項参照)・鶴ケ城(椎木堰・別項参照)等があり、 大原町に、大山堰・新堰・田井谷堰・壺谷堰・大聖寺堰等がある。 1949(昭和24)年再刊の『釣魚手帖』では夷隅川の魚類に、ボラ・ウナギ・ドジョウ・コイ ・フナ・ハゼ・エビ・クロダイ・アユ・ウグイ(ハヤ)・オイカワ(ヤマベ)を挙げている(154pp)。 |
Reference Books. | ||
○2万分の1迅速図(長者町) | 1883(明治16)年04月測量 | |
陸軍参謀本部 | ||
○釣魚手帖 松崎明治 | 1949(昭和24)年01月25日 | |
丘書房 | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○岬町文化史年表 清水 豊 | 1973(昭和48)年03月08日改定第2版 | |
岬町文化財審議委員会 | ||
○蛸の国 井上喜平治 | 1977(昭和52)年07月20日初版 | |
株式会社関西のつり社 | ||
○5万分の1海底地形図(太東埼) | 1986(昭和61)年03月28日 | |
海図番号6366号7 海上保安庁 | ||
○20万分の1海底地形図(房総半島東方) | 1988(昭和63)年01月14日 | |
海図番号6366号 海上保安庁 | ||
○夷隅の農業農村整備 | 平成13年度 | |
千葉県大原土地改良事務所 | ||
○千葉県鳥獣保護区等位置図 | 平成14年度 | |
千葉県環境生活部自然保護課 |