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前川治水ダム位置図

整理番号
0091
名 称
前川治水ダム(まえかわちすいダム)Maekawa-reservoir.
所 在 地
山形県上山市(かみのやまし)川口
2万5千分の
1地形図

分 類

ダム湖(洪水防止・潅漑用・流水の正常な機能の維持)

別 称

前川ダム
それ行け! アクセス

JR奥羽本線羽前中山駅より、東へ1.0km。
山形自動車道・山形蔵王ICから、国道13号線(バイパス)を南下。
上山市に入り、高層マンションの脇で須川を越え、南西進。
右90度カ−ブを越え、奥羽本線を陸橋で渡る。
T字路信号を左折・西進。
1km先で前川を渡れば、左に「前川ダム入口」の小さな標識がある。
湛水面積
0.353km(35.3ha)
最大水深
常時満水位13.50m(258.00−244.50)
有効貯水量
4,100,000m
流域面積
21.2km
完成年月
1982(昭和57)年09月20日
BASS
生息確認年月

2002(平成14)年06月02日確認
ボート店

貸しボート・売店なし。水洗トイレ(和式)は、ダムサイト右岸にある。
水がきれいです
特 徴
Special Feature
山形県を代表する、好釣り場。

水たまり派には、たまらない魅力を秘めたフィールドだ。

ボートは禁止なので、全員が陸釣りオンリーとなる。

貯水池を一周する車道(浮き砂利のダートです)があるが、車道から

湖面までは比高があり、歩いて降りる路は限定される。

メインインレット(流入部)は南端の首塚の地下をトンネルで抜けて入ってくる。

水色は、かなりクリアー。水面はオープン。

ワンド・シャロー・石貼り護岸・岩場・ベジテーション・立木・溝等のストラクチャーがある。

東岸と、南岸は、ヘラブナ狙いの釣り人が多い。西岸には広大なシャローもある。

BASSは40cm級を確認したが、より大型も僅かに生息している模様(正確な記録なし)。

平均サイズは、25〜30cm程度と推定される。

冬季は結氷と積雪の自然現象により、閉ざされるから、温水系魚類が成長するには

厳しい環境と言える。

ヘラブナも棲息しており、ファンも多く通う。

ソフトルアーよりも、ミノーやクランクベイトを多用してみたい釣り場である。

前川貯水池の流末は、前川(流路延長16,000m・流域面積78.0ku)に入り、

上山市で須川(流路延長44,327m)に合し北流、さらに最上川(流路延長224,488m)に

合流して、酒田市で日本海へ注ぐ。

釣ったのかって、もちろん、イヒヒ
由 来
history.
治水を主目的に、

一級河川最上川水系須川・左支川の前川に、変則的に山形県が設置したダムである。

変則的とは、前川の川沿いにダムサイトとしての適地がないため、上流部で自然分水し、

水路とトンネルで貯水池(前川ダム)に導き、貯水池からは定流量を前川の下流部に

再放流する、河道外貯留方式だからである。

導水路(インレット)の流量は、110m/秒〜130m/秒で計画され(導水路途中

にも、流入量調節用の余水吐がある)、ダム地点の計画洪水量は、140m/秒なので

全量の洪水調節が可能とされ、小岩沢地点より下流の水害を防止できる見込み。

また、前川沿岸123haの水田に灌漑用水を供給する。

流入は貯水池の南端、ダム堤体は貯水池の北端にあって東西に伸びる。

トイレは完備されています

中央コア型ロックフィルダムで、堤高50.0m、堤頂長265.5m、堤頂巾10.0m、

堤体積690,000m、堤頂高EL270.00m、総貯水量は、4,400,000m

洪水時満水位は、266.50m。常時満水位は、258.00m。

計画低水位(堆砂面)は、244.50mだから、常時満水位の最大水深は、

(258.00−244.50=)13.50mとなる。

ダムサイトには、鉄筋コンクリート製越流式余水吐(EL259.99m)がある。

1971(昭和46)年 着手

1974(昭和49)年 着工

1982(昭和57)年 竣工

施工は株式会社間組、総工事費は、12,266,000,000円(122.66億円)、

管理者は山形県村山総合支庁建設部・山形統合ダム管理課である。

ダムサイトに、前川ダム記念碑建立協賛会の記念碑が建つ。

ダム堤体、手前は余水吐です

【古泉千樫と齋藤茂吉】

ご当地山形県の歌人、しかも上山出身といえば、誰もが知る齋藤茂吉であろう。
古泉千樫の『川のほとり』「最上川」に、一連8首が載る。

あかときの峠の駅に水のめり 越え来し山山靄こめむとす

青田のなかをたぎちながるる最上川 齋藤茂吉この國に生れし

梅雨ばれの光りのなかを最上川 濁りうづまき海にいづるかも

1908(明治41)年、伊藤左千夫(45才)が創刊した『阿羅々木』 (翌年『アララギ』と改題)に参加し、 古泉千樫(23才)と齋藤茂吉(27才)は親友でありライバルであった。
『川のほとり』巻末小記に、「東京へ出てからは殆ど毎日のやうに 左千夫先生にお目にかゝつた。それから、齋藤茂吉君と最も親しくなつた。 齋藤君とはその頃は大抵一週間に一度や二度逢うた。逢へば必ず二人で歌を作つた。 そして左千夫先生に見て貰つた。」と房州(現千葉県鴨川市)出身の千樫が書いている(190pp)。

1923(大正12)年の夏、勤務先帝国水難救済会の所用で、 古泉千樫は山形県酒田へ出張した。
茂吉の故郷は、山形県南村山郡堀田村大字金瓶(現上山市)、奥羽本線の線路から近いところで、
今は生家の近所に齋藤茂吉記念館が建つ。

列車が福島から出羽の国へ入り、上流から河口へと詠んだ「最上川」に、 古泉千樫が親しき思いを抱いた土地に対する高揚感があふれている。
歌の世界にも房総と山形の縁は深い。

齋藤茂吉記念館
齋藤茂吉記念館にて

上山市と言えば、手打ち蕎麦と温泉も、また楽しみな街だ
「手打ち蕎麦あららぎ・原口そばと二日町共同浴場」も、どうぞご覧ください

もっと知りたい貴女に
【参考文献・よしさん架蔵書】
〇川のほとり 古泉千樫1929(昭和04)年06月03日初版
改造文庫第2部第57篇 改造社
〇青牛集 古泉千樫1936(昭和11)年06月20日初版
改造文庫第2部第253篇 改造社
〇古泉千樫とその歌 橋本徳寿1939(昭和14)年11月10日初版
三省堂
○日本のへら鮒釣り場写真集 1985(昭和60)年12月15日
日本へら鮒釣研究会 編発行
○歌人 愛の世界 藤岡武雄 1991(平成03)年06月12日6刷
短歌新聞社
○山形県統計年鑑(平成11年版) 2001(平成13)年03月
山形県企画調整部統計調査課 編発行

2002年07月01日発表 Release.
2005年10月02日一部修正
2009年11月26日参考文献追記
2014年09月02日「古泉千樫と齋藤茂吉」&参考文献追記
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