|
| 0088 |
| 与兵衛沼(よへえぬま)yohei-swamp. |
---|---|
| 宮城県仙台市宮城野区小田原蟹沢(かにさわ) |
1地形図 | 仙台東北部 |
分 類 | 池(元・灌漑用) |
別 称 | 与兵衛堤(寛文11・1671年) 与平堤(安政02・1855年) 與平堤(昭和07・1932年) |
|
JR仙山線東照宮駅の北東約1500m。 国道45号線沿い・宮城野区役所の東250mの交差点を、北上すると、 東北新幹線&JR東北本線のガードをくぐり、仙台市ガス局前の交差点 に達する。 ここを直進・北上し、500m先の枡江(ますえ)交差点を、左折・西進。 400m先の土地改良事務所前T字路信号(右ト)を、右折北上すれば 堰堤に出る。 |
---|---|
| 1.5ha |
| 2.0m(よしさん推定) |
| 20,000m3 |
| 69.6ha |
| 1671(寛文11)年 |
生息確認年月 | 1992(平成04)年03月以前 |
|
貸しボート・売店なし。駐車場は堰堤に整備された(10台程度)。トイレなし。 |
Special Feature | その昔、藩主が松茸狩りをしたと伝えられる、赤松の林に囲まれた静かな水場。 |
|
北西から南東に伸びる谷に堰堤が築造されたから、湖面は堰堤の北西に広がっている。 湖面平均幅50〜60m、奥行き400mの小場所である。 名は沼だが実態は池で、釣りには、おおむね足場も良い。 水色は粘土に起因するマッディー。ボトムは、砂・泥。 ワンド・インレット・倒木・ドロップオフ・ベジテーション(葦・マコモ)・岬・等のストラクチャーがある。 明瞭なリバーチャンネルはないようだ。 |
|
北岸には遊歩道やアズマヤ・木橋も整備され、モミ・スギ・赤松の明るい林の散策にも好適。 ヘラブナ釣り愛好団体(与平会)が、よく竿をだしている(最大で泣き尺程度)。 10年前の文献によれば、緋鯉・金魚・ブラックバス・雷魚・コイ・ヘラブナ・マブナ・クチボソや、 カメ・スッポン・アヒル・マガモ・カルガモ等が生息、となっているが、よしさんは全てを再確認 したわけではない。 本気で釣るというより、初心者のキャスティング練習・中級者ならルアーのスイムテストに、 格好の場所と見た。 なぜなら魚の個体数が少なく、まれにしかヒットしないのと、サイズが小さい(20〜25cm級主体)からだ。 |
history. | 与兵衛沼は、与兵衛さんが作ったから与兵衛沼という。 |
|
単純明快なネーミングである。 1671(寛文11)年 、仙台藩士鈴木与兵衛(三代目)が灌漑用水不足を解消するため、 自費を投じて作ったもので、藩主綱村公がその功を賞賛して与兵衛堤と名づけた。 蟹沢の湧水と流水を利用した沼の水は、小田原・苦竹・燕沢・新田・高砂地区の灌漑に 約300年間使用されていた。 堤高5.50m、堤頂長110.0m、堤体は盛土で内面はコンクリートブロック積み。 堤頂幅は測定不能(堰堤と平行して道路があり、どこまでが堰堤で、どこから道路かが判然としない)。 コンクリート製越流式余水吐けを備える。 総貯水容量は22,000m3である。 平均水深を求めるモデル計算をして見れば、 ■CASEー1(図上測定) 幅55m×奥行き400mで、22,000m2となり、 水深1mの水があれば、22,000m3の貯水量となる。 ■CASEー2(数値計算)1.5haは150aで、15,000m2となり、 ここに、22,000m3が溜まるなら、22,000/15,000で、水深は1.46mとなる。 22,000m3は、ため池台帳に記載された総貯水容量だから、与兵衛沼の水深は 平均1〜1.4m、最大でも2mと見てよいだろう。 |
|
沼は明治維新後、農商務省により、地元の木皿松右衛門他81名に払い下げられ、共有地となる。 1922(大正11)年には、保有林に地目変更。 1929(昭和04)年02月15日夜、氷と漏水で破堤。 1929(昭和04)年04月〜12月、堤の改修工事。 1932(昭和07)年02月、与兵衛沼の補助用水として、上流に新堤沼完成。 1934(昭和09)年、都市計画法により、海老堤・新堤・大堤と与兵衛沼一帯は、 小松島風致地区に指定され、さらに1975(昭和50)年、杜の都の環境をつくる 仙台市条例により、保存緑地帯(約6ha)に指定。 1979(昭和54)年03月30日、仙台市施工の大改修工事完成、続いて 1980(昭和55)年、都市公園予定地となる。 現在の施設所有者は仙台市、施設管理者は岩切土地改良区である。 流末は、二級河川藤川(延長1,500m)となり、二級河川梅田川(延長13,035m)に合し、 二級河川七北田川(40,899m)を経て、仙台湾で太平洋へと注ぐ。 |
|
鈴木与兵衛は、1676(延宝04)年05月11日、54歳で没した。 その13代目の子孫は、仙台市青葉区北山界隈に今も健在らしい。 木皿家は、壇の浦で敗れた平家が千葉県木更津に落ち延び、さらに木更津市から、仙台市 青葉区小田原に土着、元来木更の表記が、木皿になったと云われる。 昔風にいえば、与兵衛沼の池守は木皿家で、世襲制だから、その末裔が平吉氏・平一氏にあたる (池守についての詳述は、大谷池の項を参照されたい)。 千葉県から宮城県へ転入したよしさんが、木更津から仙台へ土着して池守となった木皿一族と出会う (文献上だけですが)とは奇縁。 これだから身近な歴史の勉強は楽しく、人生はドラマチックなのだ。あぁ、温故知新。 |
Reference Books. | ||
○与兵衛沼・二の森・安養寺 | 1992(平成04)年03月 | |
仙台市宮城野区役所・地元学講座編集委員会編 宮城野区民ふるさと創生事業実行委員会発行 | ||
○わが町五十年史 小松島新堤・安養寺・与兵衛沼・奥津の森 | 1998(平成10)年02月01日 | |
みやぎシルバーネット制作 三品 實発行 | ||
○ため池台帳 | 2000(平成12)年03月 | |
宮城県仙台産業振興事務所 | ||
○宮城県河川・海岸図 | 2001(平成13)年01月 | |
宮城県土木部河川課 |