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| 0073 |
| 夷隅川(いすみがわ)The Isumi River. |
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| 千葉県いすみ市(旧夷隅郡岬町)桑田(くわだ)、押日(おしび)、中滝(なかだき)、 嘉谷(かや) |
1地形図 | 国吉5838,5848,5858,他 |
分 類 | 河川 |
別 称 | 大田喜川 |
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JR外房線長者町駅より、西へ約2.2km。 国道128号線を下り、"東浪見"信号(歩道橋あり)を右折。 JR外房線を陸橋で越え、"太古橋"信号(左ト)を直進、 県道夷隅・太東線に入り、2.1km先(左ト)を左折。 |
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| 4m |
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| 299.4km2(千葉県内第1位) |
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生息確認年月 | 1993(平成05)年10月10日 |
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貸しボート・トイレ・売店なし。 |
Special Feature | 夷隅川(流路延長67.5km)は、下流が釣りに好適。 |
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音羽橋を挟んで、上流は嘉谷集落付近から、下流は下矢竹集落の 堰迄が狙い目。 マイボートを持参出来れば、好結果が出よう。 陸釣りは、七番組集落の大カーブが有望。数台なら駐車もできる。 水色は、ヨード系統(茶)でややマッディー、緩い流れがある。 フナ・コイ・ウグイ(ハヤ)・ウナギ・アユ・オイカワの6種は 放流魚種で、他にハゼ・イナ等も生息。 1994(平成06)年に実施された、夷隅川の「河川水辺の国勢調査 (生物調査編)」では、純淡水魚22種・回遊魚6種・汽水& 海水魚44種の計72種が確認されている。 これは長良川の88種についで、木曽川・揖斐川と並ぶ 全国第2位のランク入り・快挙である。 |
History | 1919(大正08)年発行の『稿本千葉懸史』の「夷隅川」に、 |
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「源を夷隅郡の西南上野村大字臺宿の山谷より発し、無数の渓水を併せて 北流し大多喜町に至りて東折し太東村大字和泉に至りて東海に注ぐ。 延長約十八里に達すれども屈曲甚だ多く処々に浅瀬ありて運輸灌漑の便 少し、然れども大多喜町大字上原より下流八里の間は筏を通ずるを得べく 国吉村大字今関より下流四里の間は舟運の便あり。 鯉・鮎・鰻・鯔等の魚族多く、特に鯉は佳味を以て聞ゆ。 河口は砂丘に遮断せられて直に海に注入するを得ず、南折二十餘町にして 海に注ぐ。」等と、見える。 1926(大正15)年発行の『釣楽』(水上梅彦)の「上総夷隅川の沙魚釣」に、 「是れまで東京の沙魚釣は西は鶴見、羽田の方面より東は千葉寒川、船橋、 浦安、中川尻までも出漁するも、多年濫獲暴採の結果香しき釣績挙がり難い ので、遠征の情禁じ難く、土曜日の午後両国駅を発して上総に向った。」 とあり、台風一過の夷隅川「三軒屋前」の枯れ蘆の間で「入れ引きの有様」 となったハゼ釣りの様子が描かれている。 夷隅川における戦前のウグイ(ハヤ)釣りは、土師清二も『魚つり随筆』 「寒バヤ」(26pp)他で触れている。 1949(昭和24)年再刊の『釣魚手帖』では夷隅川の魚類に、ボラ・ ウナギ・ドジョウ・コイ・フナ・ハゼ・エビ・クロダイ・アユ・ウグイ (ハヤ)・オイカワ(ヤマベ)を挙げている(154pp)。 |
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ドブ釣りの名手伊東阿佐男は『鮎の川』で、夷隅川を描いている。 「夷隅川の国吉で、いい釣りをして、当時、東京釣友会の先輩にもこの話 をしたが、先輩は私の話に興味を示してくれなかった。もっともこの川では、 その頃ドブでフナも釣れ、サヨリも釣れた。このことをいっしょに話したので、 そんな川ではという意味があったのかも知れない。またそんな所だからかも 知れないが、ここの宿屋では、女中がお膳で朝食、昼食を河原へ運んでくれ、 お八つの時には、採りたての苺をふんだんにミルクと砂糖をかけて持って来て くれた。これを"河原の饗宴"などといって、友達と大いに喜んだものだが、 今考えてみるとまことに面はゆい(188pp 昭和33年発表稿)。
夷隅川流域は、国指定天然記念物(絶滅法指定種)の、ミヤコタナゴの 生息地であることが特筆される。 夷隅川は鮭放流実験河川で、千葉県は平成3年度まで鮭の稚魚を試験放流 していた(県内水面水産試験場・電話043-461-2288)。 夷隅川は、夷隅川漁業協同組合の漁場(内共第4号)で、釣りの前に、 遊漁承認証を購入しよう。 漫画の太東岬物語は、地元の話が満載されており興味深い。 川にまつわる話に、1174(承安04)年頃の夷隅川の大鯰の話がある。 「大鯰が暴れると、川の水は溢れ、山津波が起き、田畑は荒れ、川の流れまで 変わってしまった。 その折り、奥州に向かう牛若丸と弁慶の一行が通りがかって、村人から窮状を 聞き、清水寺から運んだ大釣鐘で大鯰を夷隅川の底に封じ込めたと云う。 鐘を運んだ岩熊村の者には、労をねぎらって大鐘の姓を授けたと云い、大鯰が 沈んだ淵は、鐘ケ淵と呼ばれるようになった」 |
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「水害(治水と水防の知恵)」には、夷隅川(大多喜町)での、 川との付き合い方が紹介されている。 「もっと極端な方法としては、洪水をむしろ誘導して堤内地(堤防 によって守られる側。通常、人の居住地)へ入れ、その氾濫水で 堤防を守るという場合も古くから用いられてきた。」というのだ。 1970(昭和45)年の洪水を例に、住民の水防意識の高揚が必要と指摘 している。 改めてこういう指摘を受けると、水場に親しんでいると自認する釣り人は、 もっと多面的に自然を見る眼を養いたいものだと反省させられる。 夷隅川下流には、海洋センター・水上スポーツと内水面漁業との調整に、 2005(平成17)年12月、いすみ市と夷隅川漁業協同組合の協議の場・ 「夷隅川下流水面利用協議会」が設置された。 また、夷隅川全域を対象に「夷隅川の水源となる森から川を通じた海までを 一体の水域ととらえ、漁場環境保全のための取り組み可能な方策を検討する」 「豊かな森・川・海をつくる夷隅川協議会」が、学識経験者・森林関係団体 ・夷隅川漁業協同組合・夷隅東部漁業協同組合・地域住民・市町村職員を 構成メンバーとして、2006(平成18)年01月、設置された。 首都圏に近い場所でありながら、豊富な魚種を有する夷隅川が、 いつまでも健全な河川であるよう、こうしたムーブメントが充分機能するよう 祈念して止まない。 |
Reference Books. | ||
○稿本千葉懸史 巻上 | 1919(大正08)年05月05日 | |
編纂:千葉懸 発行:能勢鼎三 | ||
【完全復刻版】 | ||
1984(昭和59)年05月30日 千秋社 | ||
○釣楽 水上梅彦 | 1926(大正15)年08月13日 | |
発行:杉山書店 | ||
【復刻版「日本の釣」集成】 | ||
1979(昭和54)年05月15日 アテネ書房 | ||
○魚つり随筆 土師清二 | 1941(昭和16)年05月31日 | |
三省堂 | ||
○随筆釣道楽 土師清二 | 1948(昭和23)年07月20日 | |
自由出版 | ||
○釣魚手帖 松崎明治 | 1949(昭和24)年01月25日 | |
丘書房 | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○鮎の川 伊東阿佐男 | 1979(昭和54)年11月03日 | |
大陸書房 | ||
○岬町史 | 1983(昭和58)年05月31日 | |
同編纂委員会 岬町 | ||
○水害(治水と水防の知恵) 宮村忠 | 1985(昭和60)年06月25日 | |
中公新書 中央公論社 | ||
○太東岬物語 小島良一 | 1992(平成04)年11月10日第2刷 | |
竹書房 | ||
○どう守る、首都圏近くの豊かな河川・夷隅川の魚介類調査から 石川雅朗 | 1997(平成09)07月号 | |
食の科学 |