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| 0068 |
| 一ノ沢溜池(いちのさわためいけ) Ichinosawa pond |
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| 千葉県安房郡丸山町小戸字一ノ沢1044 |
1地形図 | 安房古川7248, |
分 類 | 溜池(潅漑用) |
別 称 | 一ノ沢堰、 |
| JR内房線南三原駅より、北に約3.5km。館山より、国道128号線を東進。 丸山町の"十字路"バス停の信号を左折。すぐ丸山川を渡って、T字路を左折・北上。 2km先の"市場"バス停の信号を右折・東進。 トンネルを過ぎ、700m先の根切のT字路は左折。 500m先(信号なし)を左折(舗装・農道)。 水田の中を道なりに谷を詰めると、堰堤が見える。 |
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| 4.4ha |
| 15.45m |
| 346,000m3 |
| 不詳 |
| 1952(昭和27)05月 |
生息確認年月 | 2000(平成12)年07月、未確認 |
| 貸しボート・公衆トイレ・売店・駐車場なし。 |
Special Feature | アプローチの農道(コンクリート舗装)は狭く、 |
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車両のすれ違いは困難。釣行は軽自動車が適す。 田植え・稲刈りの時期には、農業機械で塞がれるので、 ビジターは通行を遠慮しよう。 堤体は東西に伸び、水面は北側に広がる。 五つの入り江を持つ、大型の溜池である。 溜池の奥に歩いて入る道もあるが、荒れている。 堰堤からの釣りが主体となる。 水色は、マッディー。ボトムは、砂岩・砂・泥。 アメリカザリガニ・アメンボ・イトトンボ・虻等が棲息。特に、ザリガニは宝庫だ。 BASSは未確認だが、棲息の可能性が高い。 一ノ沢溜池の手前に、内田堰と犬栗堰がある。 |
History | 一ノ沢溜池は、比較的近年に築造された。 |
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堤体は中心コアー型で、コアーは巨大な鋼、両翼に鞘土。 堤頂高は18.18m(EL59.695m)。 満水位はEL57.876m、水深15.45m。 堤長84.58m、堤頂巾は5.45m。 貯水量は346,000m3である。池中に表層取水設備を有する。 余水吐けは越流式だが、流末は垂直の暗渠(下部直径1.5m) で、恐怖の飲み込み穴だ。 用水路は、幹線2608m・拡張水路5015m(ずい道 1618m+温石川横断用逆サイフォン990mを含む) で、農地115.83ha(116町8反)を潅漑している。 一ノ沢溜池の管理は、岩糸第一土地改良区である。 流末は、温石川(流路延長5.6km,流域面積10.8ku) に入り、太平洋へ下る。 |
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昭和21〜22年の大旱魃を契機に、岩糸第一耕地整理組合が 設立され(組合員254名)、溜池新設が計画された。 事業予算総額\12,000,000、竣工1951(昭和26)年3月の予定で、 1947(昭和22)年5月に組合営事業として着工。 しかし、戦後の経済混乱期にあって、単独事業が困難となり、 県営豊田村土地改良事業として採択を受け、1952(昭和27)年5月 総工費\22,050,000(国県費補助\16,570,000)で竣工した。 明治年間からの農民の切実な要望が実現し、ようやく岩糸地区の 旱魃は解消された。 歴史を刻む竣工記念碑(昭和37年04月01日建立)は池畔に建つ (年豊人楽 題額=千葉県知事=柴田等)も彫字が浅く判読は 困難になりつつある。年豊人楽は、耕地整理の竣工で頻繁に使用 される言葉で、北浦の辺(茨城県行方郡麻生町根小屋)にも建つ。 |
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丸山町は風車の町。 古来、三島地区は河原を開田したような地質で、砂利田が多く、 保水力が弱い難点があった(ザル田)。 河川に隣接し、地下水位が高いことから、水田の一角に井戸を 設け、従来人力揚水で水田耕作されていた。 しかし、折角の水も浸透し、井戸に戻ってしまうため、農民は 田の水管理に苦労を強いられていたのです。 昭和6年頃、千倉町白子の大工・石井貴次が、夷隅郡大原町方面 で実施されていた風車揚水を視察、揚水風車を試作し、昭和10 年頃から可動したのが、三島風車の発祥とされる。 昭和18年頃には、100基程も林立したが、昭和35年頃には 揚水ポンプの時代となり使命を終え、現在は町内各所に移設され、 白い風車は、町のシンボルとなっている。 |
Reference Books. | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○丸山町史 史料編 | 1986(昭和61)年03月20日 | |
同編集委員会 丸山町 | ||
○丸山町史 通史編 | 1989(平成元)年03月30日 | |
同編集委員会 丸山町 |