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| 0065 |
| 矢田堰(やたせき) Yata-Pond |
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| 千葉県安房郡丸山町川谷(かわやつ)字大作 |
1地形図 | 安房古川7235,7245, |
分 類 | 溜池(潅漑用) |
別 称 | 矢田ケ池、矢田池、 |
| JR内房線南三原駅より、北西に約4.5km。 館山より、国道128号線を東進。 丸山町の"十字路"バス停の信号を左折。 すぐ丸山川を渡って、T字路を左折・北上。 石堂寺を過ぎ、"川谷"バス停の100m先を左折。 道なりに西進すると、左前方に堰堤が見える。 |
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| 概算29,752m2 |
| 5m |
| 79,000m3 |
| 不詳 |
| 江戸時代初期 |
生息確認年月 | 2000(平成12)年04月確認 |
| 貸しボート・トイレ・売店・駐車場なし。 |
Special Feature | 堤体は南北に伸び、水面は西側に広がる。 |
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四つの入り江を持つ、溜池である。 溜池の北側は、半周する舗装道路があり、歩いてのアプローチに適す。 水色は、マッディー。 ボトムは、砂岩・砂・泥。 BASSは、20〜30cm級が主力。 マブナ・アメンボ・ウグイス等が棲息。 |
History | 江戸時代の農民にとって、稲作用の水利は命であった。 |
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千葉県内では、茂原・夷隅地区、富津地区、及び安房郡に、 多数の溜池が集中している。 丸山町にも大河がなく、旱魃の多発地域であり、古くから 多くの溜池が築造されている。 矢田堰を利水する、丸山町丸本郷の古文書には、 「正保2(1645)年6月24日、雨乞塚、祭る」とか、 「雨乞組合が雨乞幟を奉納」し、 雨乞祈願の祭事が行われたと、記されている。 (正保2年5月は、宮本武蔵が62歳で没した年です) |
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1854(嘉永07)年5月の丸本郷村差出明細帳には、 「溜井 堤四拾四間 壱ケ所 右矢田池之儀凡田地三町歩程、丸本郷村ヲ離候事 但シ井堀通凡三百間程、宮下村川谷村両村之境ニ御座候。 池ハ、丸本郷支配ニテ用水ノ節ハ丸本郷江引始、 川谷村ト右両村江引来申候。 堰守給之儀ハ、田地五畝歩丸本郷村ヨリ付置申候」 と見える。
1874(明治07)年4月11日には、丸本郷村戸長鈴木平七・ 副戸長安田嘉作が、川谷村戸長及び副戸長に入会(いりあい) 溜井協議書を提出。引水の方法は、 一番水は、ニ日一夜で丸本郷村に ニ番水は、一日一夜で川谷村に 三番水は、ニ日ニ夜で丸本郷村に 四番水は、一日ニ夜で川谷村に、と取り決めている。 |
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堤体老朽化のため、1982(昭和57)年4月、農林水産大臣の採択を 得て、同年10月、県営ため池等整備事業(老朽ため池)に着工。 均一型の堤体を前刃金とし、平板ブロックによる法面(のりめん) 保護、コンクリート製越流式余水吐け(37.9m)等を整備。 4年の歳月と、\46,900,000を投入し、1986(昭和61)年3月完成。
矢田堰の堤体は前刃金型(85m)、堤長96.8m。 堤頂幅3.0m、堤高7.0m。 総貯水量は、79,000m3。 毎秒0.07m3の取水量が、農地43haを潅漑している。 矢田堰の管理は、丸本郷川谷水利組合である。 矢田堰へは流域からの流入の他、1979(昭和54)年3月完成の 安房中央ダムより、毎秒0.1909m3の余水が、大幹線・ 第2号幹線・第4号幹線を経由して流下する。 流末は、丸山川水系・丸山川(流路延長23.3km,流域面積33.0ku) に入り、太平洋へ下る。 |
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丸山町に、大小46のダム・溜池があり、地元釣り人はマイカー 利用のラン&ガンで、数ヶ所を巡り、楽しんでいる。 溜池へのアプローチの多くは、農道(全部で1車線)だから、 当然農耕車が優先。 ビジターは、通らせて頂きますという謙虚な姿勢で臨みたい。
丸山町は風車の町。 風車は「後で取って付けた」観光名物では、ない。 必然性と、まつわる歴史があるのだが、長くなるので、 後日紹介としよう。 |
Reference Books. | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○丸山町史 史料編 | 1986(昭和61)年03月20日 | |
同編集委員会 丸山町 | ||
○丸山町史 通史編 | 1989(平成元)年03月30日 | |
同編集委員会 丸山町 |