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古利根沼位置図

整理番号
0063
名 称
古利根沼(ふるとねぬま) furutone-swamp
所 在 地
茨城県取手市小堀(おおほり)、千葉県我孫子(あびこ)市
2万5千分の
1地形図
取手1045,1046,1055,1056,

分 類

蛇行河川跡、三日月湖

別 称

藺沼(えぬま)、小堀沼(おおほりぬま)、湖北古利根、古利根、古川
それ行け! アクセス

JR成田線湖北駅より、北へ約1.2km。
都心からは、国道6号線を下り、我孫子市に入る。
歩道橋のある、我孫子警察署前の信号を過ぎ、"利根水郷ライン"
信号の先250mを、左の側線に入る(下り坂)。
国道6号線を潜り、JR常磐線も潜って、県道我孫子・利根線
(利根水郷ライン)を東進。
約1km先(取手市の標識の先)を、右に土手を下る。
湛水面積
22ha(取手市約5.8ha、我孫子市約16.2ha)
最大水深
5.5m
有効貯水量
・・
流域面積
482ha(農地82haを含む)
完成年月
1930(昭和05)年
BASS
生息確認年月

1982(昭和57)年頃
ボート店

貸しボート・トイレ・売店・駐車場なし。
河岸の面影は、ない
特 徴
Special Feature
元の利根川本流。

水面は、横半月型で、東西に横たわる。

幅は西端が最大で180m。中央部〜東端は100m平均である。

底質は、砂・泥。一部は砂岩。

水色は、マッディー。ストラクチャーは、少ない。

西側(上流)は、半周する道があり、釣り歩くスタイル。

ヘラブナ専門の釣り人も多い。

西側(上流)方面

流入する、南岸中央の我湖(あこ)排水路は、1981(昭和56)年に、

河床・護岸共コンクリート製に改修された。

その結果、流速が速くなると共に、好気性微生物の生息(付着)場所

が減少し、本来微生物によって分解されるべき有機物は、浄化さ

れずに流入することになった。

翌1982(昭和57)年05月には、ドブ貝・カラス貝等の貝類は大量に

死滅した。

汚水により底の部分に無酸素層ができ、貝類は酸欠死したものと

考えられる。

同年春より、ゲンゴロウブナ(ヘラブナ)の死体も目立つようになった。

我湖排水路上流に、NEC日本電気事業所がある。

1987(昭和62)年、我孫子市が我湖排水路に「れき間浄化施設」(全長

175m)を設置すると、れきが魚の餌場・産卵場として利用され、

オイカワ・ワタカの群れが見られるようになった。

しかし最近は、れきに棲む微生物への酸素供給不足のためか、

設置の効果が低減しているようだ。

我孫子市手賀沼課の、一層の維持管理努力を望みたい。

流域の中峠(なかびょう)地域からは、生活排水まで流入している。

東京大学指導で、四万十川方式生活排水浄化システムの設置も

結構だが、公共下水道への接続が急務である。

住民はどうして生活排水を垂れ流すのか、良識はないのか、

よしさんは理解に苦しむ。

我湖排水路の「れき間浄化施設」

アユ・ナマズは、1975(昭和50)年初期迄棲息。今は絶滅したようだ。

1982(昭和57)年頃から増えた、オオクチバス(ブラックバス)は、

1985(昭和60)年前後をピークに減少し、1989(平成01)年には、

ブルーギルが特に多くなった。

古利根沼には、20種類前後の魚類が生息している。

オオマリコケムシ(透明ゼリー状で球形)は、1851(嘉永04)年アメリカ

で発見され、日本では1972(昭和47)年、山梨県河口湖に出現。

千葉県では、1976(昭和51)年、印旛沼(別項参照)・1981(昭和56)年、

雄蛇ケ池(別項参照)・1982(昭和57)年、古利根沼に発生。

亀山湖(別項参照)等各地に出現している。

このコケムシは、水が「富栄養化していても、水質の汚染されて

いない環境に生息する」(織田・1982)とされる。

古利根沼の流末は、東端の我湖排水樋管より利根川(流路延長322km,

流域面積16,840ku)に自然排水される。

利根川の水位が上昇した場合には、我湖排水機場並びに、

上流に1999(平成11)年03月完成の新排水機場(排水ポンプ口径

600mm×2台、総工費17.7億円)から、強制排水される。

オオマリコケムシ部分
オオマリコケムシ:撮影地=亀山湖
由 来
History
1900(明治33)年着手、1930(昭和05)年完成の、利根川の直線改修

工事で残された湾曲部(廃川)で、三日月湖である。

廃川部分(現古利根沼)は、1930(昭和05)年、民間に払い下げ

られ、公有水面ではなくなった。

1984(昭和59)年、古利根沼の所有者は住友系開発業者(と一部は

地権者)となる。

更に1991(平成03)年、古利根沼は系列開発業者に転売された。

古利根沼の所有者と我孫子市で、沼の埋め立てや、買収の係争がある。

民間の所有なら、利用は(法令に則る限り)民間の自由が道理。

他人の庭を指して、自然保護のために、こうしろ・ああしろと言う

こと自体がナンセンスで笑止。

その区域に本当に愛情を注ぐのなら、口を出すのではなく、応分の

代価を負担し買収して所有者となるべきだ。

私有地とは、根本的にそういうものです。

(よしさんは、住友系開発業者の肩を持つわけではありません)

地方自治体が買収するのが、のぞましい

小堀地区は、船頭の村と云われ、1941(昭和16)年利根運河が閉鎖

される迄、50艘の高瀬船があったと言う。

「利根川に望みたる地にして、船宿5家皆寺田氏なる」と、

利根川図志にはある。

「郷土史への招待」伊藤晃によれば、我孫子についての古文書の

表記は、安飛子・安孫子・阿孫子・吾孫子等があると言う。

語源は諸説あって、定説がない。

@「我孫公」に始まるとも云う。日本書紀の崇神天皇の条に、

豊城入彦命がおり、その子が八綱田命である。

そして我孫公はその後裔であると云う説。

A日本武尊が東征の途次、手賀沼(手下之海)を渡ることになり、

父子3人の漁夫に命じて「あちこく」と言ったのを、後に「あぢこ」

「あびこ」等と転化した説。

B「あびく」が古語で「網引く」意味で、「あびこ」は「網引くところ」

として漁村についた名とする説。

C北方少数民族語とする説。

岡発戸(おかぼっと)・江蔵地等。

アウト・レットです

我孫子にゆかりの文人墨客は多いが、鳥に因むなら中勘助。

釣り人では、加納幸蔵・滝井孝作(俳人/小説家)・大橋青湖・

野間仁根(洋画家)の著書を紹介しよう。

『鳥の物語』中勘助は、12羽の鳥が王の御前に出て語りだす

設定の、格調高い作品である。

加納幸蔵の『鮒の釣場』に「古利根」があり、戦前のマブナ・

ヘラブナ釣りが偲ばれる。

『釣なかま』・『釣の楽しみ』滝井孝作は、アユ釣りが大分を占め、

江戸前のハゼ釣り・内房の釣りが加わる。

大橋青湖は『釣の風景』「川の風景」で、古川・手賀沼等のマブナ・

ヘラブナ釣りを紹介している。

野間仁根『呑馬先生釣日記』は、外房鴨川界隈の海釣りの話が満載

されている。

有名な山階鳥類研究所は、我孫子市役所の近くにあり、

隣接して我孫子市鳥の博物館(電話0471-85-2212)が、1990(平成02)

年05月22日開館した。

もっと知りたい貴女に
[参考文献]
Reference Books.
○鮒の釣場 加納幸蔵 1944(昭和19)年01月18日
春陽堂書店
○釣なかま 滝井孝作 1954(昭和29)年09月15日再版
角川書店
○『釣の風景』大橋青湖 1958(昭和33)年09月10日
スポーツ新書82 ベースボール・マガジン社
○呑馬先生釣日記 野間仁根 1962(昭和37)年04月05日
オリオン社出版部
○千葉県統計年鑑(昭和42) 1968(昭和43)年03月25日
千葉県企画部統計課
○郷土史への招待 伊藤晃 1974(昭和49)年09月20日
文潮堂
○釣の楽しみ 滝井孝作 1977(昭和52)年02月10日5版
二見書房
○利根川をゆく 片山正和 1979(昭和54)年10月30日第1刷
(V・別巻) 崙書房
織田秀実(1982)「雄蛇ケ池のオジャッシー それはオオマリコケムシ」
遺伝(36-5)46-55pp.
遺伝学普及会
○手賀沼の生態学 浅間茂 1989(平成01)年09月30日第1刷
崙書房出版
○鳥の物語 中勘助 1990(平成02)年01月10日第14刷
岩波書店
○我孫子市鳥の博物館展示案内
エリートクリエイティブルーム/荒木博申/我孫子市鳥の博物館編
1991(平成03)年04月01日初版
我孫子市鳥の博物館
○古利根の自然ウォッチング
浅間茂他
1993(平成05)年01月01日初版
古利根の自然を守る会
○よしさん:(2006)「亀山湖のオオマリコケムシ」
http://wakasagi.jpn.org/
○よしさん:(2009)「牛久沼のオオマリコケムシ(休芽・スタトブラスト)」
http://wakasagi.jpn.org/

2000年03月01日発表 Release. 2005年09月26日一部修正 2008年03月27日参考文献追記
2009年10月13日本文一部追記&参考文献追記
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