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| 0062 |
| 菅生沼(すがおぬま) sugao-swamp |
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| 茨城県常総市(じょうそうし・旧水海道市)、坂東市(ばんどうし・旧岩井市) |
1地形図 | 水海道0363,0373,0383,0393,0394,守谷0503,0504,0513,0514, |
分 類 | 沼、湿地、 |
別 称 | 保地沼、 |
| 関東鉄道常総線小絹(こきぬ)駅より、西へ約5km。 又は、東武鉄道野田線愛宕駅より、北東へ約7km。 国道16号線を東進し、江戸川を金野井大橋で渡り埼玉県から 千葉県野田市へ入る。 南下し"柳沢"信号の先、"野田警察署前"信号(陸橋に上がらない。 左側線に入る)を左折。 【柏方面からは、国道16号線を北上し、野田市役所の先、 "野田警察署前"信号(陸橋に上がらない。左側線に入る)を右折】 県道土浦・野田線に入る。 利根川を芽吹大橋で渡り、千葉県から茨城県岩井市へ入る。 "矢作"信号を右折東進すると、菅生沼の法師戸水門に至る。 |
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| 232ha(山林化湿地、湿地を含む) |
| 2m(推定) |
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| 往古 |
生息確認年月 | 1995(平成07)年09月16日未確認 |
| 貸しボートなし。博物館に駐車場(雨水の地下浸透式)・水洗トイレ・売店 (ミュージアムショップ)・レストランあり。 |
Special Feature | 南北に延びる谷に位置する菅生沼に、北から2本の川が流入する。 |
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江川と飯沼川である。 谷の幅は上流(河川と湿地帯で構成)で200〜300m。 下流(オープンな水面と湿地帯で構成)では400〜500mである。 陸からのアプローチは、土手からの河川部分・橋梁付近・水門等に 限定されるため、釣り場としての価値は低い。 水際は、ぬかるむ湿地帯と植生で占められ、水面への到達は困難。 それが人間の干渉を防御する天然のファイアー・ウォールとなり、 菅生沼の自然(地形・魚・鳥・植生・虫etc)を護っている。 ボトムは泥。沼は平均水深1m以浅が大分を占める。 だから気軽に釣行できる場所ではない。 一帯は、菅生沼自然環境保全地域に指定されている。 流末は、法師戸水門から、飯沼川を経て利根川(流路延長322km, 流域面積16,840km2,/別項参照)に入る。 |
History | 菅生沼の右岸中央部に、1994(平成6)年11月、ミュージアムパーク |
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茨城県自然博物館(初代館長中川志郎/電話0297-38-2000代)が 開館した(月曜休館・入場料大人¥520)。 釣り人には、第3展示室水槽ジオラマの、アユ、BASS、ナマズ、 鯉、フナ、連魚等の生態が面白いだろう。 左岸のあすなろの里(キャンプ場・フィールドアスレチック)を結ぶ、 菅生沼ふれあい橋(水面部約300m・歩行者専用)があるが、 憎いことに野外有料であり、入場は本館経由である。 まさか釣竿持参という訳にも行くまい。 菅生沼は、葦・真孤藻・蒲を中心とする平地部の湿原が広がり、 夏季にはカッコウ・ホトトギスが、冬季には数百羽ものコハクチョウが 訪れると云う。 菅生沼で、高等植物468種・植物性プランクトン148種(フムフムと うなずくのは、ヘラブナ釣り師か)・哺乳類4種・鳥類170種・両生& 爬虫類12種・魚類24種(さて何でしょう)・昆虫類666種・ 動物性プランクトン57種を確認したことが、博物館に表示されている。 アウトドアー派なら、自然博物館で知識を補強するのも良い。 淡水コケムシの専門家もいて、心強い。 お勧めは、図書コーナー。そして屋上の高倍率双眼鏡(無料)。 |
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下流の飯沼川から鬼怒川(絹川)間の水田一帯は菅生洪水調節池で、 利根川の洪水時は菅生越流堰より濁水が入り込み(洪水流量の ピークカット用。連続堤防だと、年々河床が高くなり堤防をより以上に 高くしなくてはならない)、利根川の水位が下がると大木水門より 排水する仕組み。 よく見れば、高圧送電線鉄塔の基礎も水没計画水深迄、かさ上げされている。 菅生洪水調節池の底を走る、県道つくば野田線を利根川の洪水時も、利用 できるよう、バイパス高架道路とする工事が完成した。 建設省利根川上流工事事務所目吹出張所(電話0471−22−3014)が 管理している。 利根川の治水は、近世前半の関東流(伊奈流)に始まる。 伊奈家の治水技術は、河道をつけかえて平野を水害から守ること。 もしくは河道を蛇行させて洪水の到達時間を遅くすること。 洪水の一部は二重堤に静かにあふれさせ、洪水流量を調整すること 等である。 遊水池は洪水により肥沃な土壌が客土され、自給肥料に依存した 農業とも調和した。 あたかもエジプトの、アスワンダム完成以前のナイル川下流のごとき、 農地使用の発想法である。 紀州藩主徳川吉宗が八代将軍になり、利根川の治水も近世後半から 紀州流となった。 谷口から河口迄、河道を直線に直し、両岸に連続堤を築き、 遊水池は水害を受けない水田とした。 雨は短時間で流下し、河床は上がり天井川となる。 利根川の水源に大雨があると、千葉県佐原付近に最高水位が あらわれるのは、関東流時代で5日間、紀州流時代は2日間で あったが、現在は1日になった。 |
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岩井市に初崎池(別項参照)・浅間沼(矢作/やはぎ/筵打/むしろうち)、 水海道市/筑波郡谷和原村(やわらむら)に福岡堰(別項参照)、 水海道市に王神湖(坂手町)・小貝川吉野(上蛇町/じょうじゃまち)等 がある。
関西からのヘラブナの移殖史は、渡辺利之助『へら鮒釣』に詳しく、一部を引用 紹介して見よう。 「ヘラ鮒の起りを文献に依って調べて見ると、福島県信夫郡笹谷村と言うところ に滋賀県から移したと言うのが一番古い記録で、次に昭和2年に同じく福島県 安積郡ゼンポウ寺の池にゲンゴロウ鮒を入れたと言うのが古く、霞ケ浦方面は 昭和5年に琵琶湖から親ブナを持って来て神の池、牛久沼、菅生沼(何れも 茨城県)に放ち、その一部分を茨城県の水産試験場で飼っておいて翌年卵で 霞ケ浦に放したと言うのが一番古い記録だと言われます(以下略)」 その後、昭和7年より北浦・涸沼に放流された・・。 ヘラブナ釣りファンなら、押さえておきたい小史である。
菅生沼と、下流の観音落し・大角落し・新落しが、漁協の漁区に設定された 話や、初崎池の戦前のヘラブナ釣り・マブナ釣りの様子は、加納幸蔵の 『鮒の釣場』に詳しく、案内されている。 昭和初期の菅生沼近辺のオヒカハ(ヤマベ)釣りは、益田 甫が 『河川の釣』に述べており、少し引用して見よう。 「野田から目吹行バスで終点に下車、目吹渡しを渡って矢作新落しを 釣ってもよければ、木下渡船場付近から船を出して並べ釣にもよい。 中里樋門付近の岡釣も楽しめる。」 最近の法師戸の池(爆弾池)のヘラブナ釣りについては、大崎紀夫が 『へらぶな釣り場50選』に書いている(99pp)。
法師戸水門のある「法師戸」の語源は、榜示処(ぼうじど)である。 村境を示す標木を榜示といい、その場所を榜示処と言ったと、 「地名の研究」にある。 榜示木(ぼうしき)、榜杭(ぼうぐい)、榜示戸(ぼうじど)、法師土、 なまって端戸(はしど)、橋戸も同意(同書97&211ページ)。 されば、茨城県つくば市房内も亦同様であろう。 また、水海道と信州の上高地との由縁も解かって、興味は尽きない。 釣り場ひとつで、こんなに楽しんで良いのだろうか。 茨城県自然博物館見学の帰りは、県道「県自然博物館入口」信号手前の 喰彩館板東矢作店でお土産を入手したい。 こだわりの米や野菜、食材が見つかるだろう。 |
Reference Books. | ||
〇河川の釣 益田 甫 現代日本の釣叢書 | 1941(昭和16)年11月20日 | |
水産社 | ||
○鮒の釣場 加納幸蔵 | 1944(昭和19)年01月18日 | |
春陽堂書店 | ||
〇へら鮒釣 米地南嶺・渡辺利之助 | 1956(昭和31)年10月15日再版 | |
つり人社 | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○利根川図志 原著:赤松宗旦 校訂:柳田国男 | 1972(昭和47)年04月20日第5刷 | |
岩波文庫1836-1838a 岩波書店 | ||
○地名の研究 柳田国男 | 1973(昭和48)年05月30日7版 | |
角川文庫 白83 角川書店 | ||
○利根川図志 津森信博 | 1980(昭和55)年08月20日第1刷 | |
原本現代訳 教育社 | ||
○利根の変遷と水郷の人々 鈴木久仁直 | 1985(昭和60)年11月20日第1刷 | |
崙書房 | ||
○展示案内 | 1994(平成06)年11月 | |
ミュージアムパーク茨城県自然博物館 | ||
池澤広美(2008):「茨城の淡水コケムシ」 | 「自然博物館ニュースVol.56」・pdfファイル | |
よしさん(2008):「つくば市房内の地名起源考」 | 「亀山湖牛久沼ワカサギ情報」http://wakasagi.jpn.org/ | |
よしさん(2009):「牛久沼のオオマリコケムシ(休芽・スタトブラスト)」 | 「亀山湖牛久沼ワカサギ情報」http://wakasagi.jpn.org/ | |
〇へらぶな釣り場50選 大崎紀夫 | 2009(平成21)年01月10日 | |
三樹書房 |