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| 0057 |
| 橘堰(たちばなせき) Tachibana-seki |
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| 千葉県香取郡山田町田部、山田町仁良 |
1地形図 | 岩部 2126,2127,2137, |
分 類 | 溜め池(潅漑用) |
別 称 | 橘池 |
| JR成田線小見川駅より、南に約4km。 東関東自動車道路大栄ICを出て、国道51号線(佐原街道)を下る。 約1.3km先の信号(右ト)を右折、東総道路(有料)に入る。 栗源町(くりもとまち)を抜け、山田町に入り終点の信号(T字路)を 左折。県道佐原・椿海線を北上。 400m先の信号(5差路)を右折、県道山田・栗源線を東進。 山田町役場を過ぎ、200m先のY字路を左折。 坂を下って1400m程の左である。 |
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| 20,000u |
| 2m |
| ・・ |
| 不詳 |
| 1605(慶長10)年 |
生息確認年月 | 1995(平成07)年08月18日確認 1999(平成11)年08月16日確認 |
| 貸しボート2隻(双胴!ペダル漕ぎ!屋根なし!、お子様用です)あり。 駐車場・トイレあり。売店なし。飲物自動販売機あり。 |
| 谷津の水田地帯にある、小さな堰。 |
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二等辺三角形の水面は、底辺(約200m)が堰堤である。
奥行きが約200mと見積もれば、面積は 20,000u程か。水面はオープンで、岸辺に真菰・ホテイアオイ・菱藻が少々生える。 オニヤンマ・シオカラトンボ・アキアカネ・カワセミも飛ぶ。 山田町建設課 (電話0478−78−2111)により、橘ふれあい公園として整備され、散策路・東屋・水飲み場・ベンチ・公衆電話BOX・ 芝生広場等がある。 |
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小学生のいるアウトドアー指向家族なら、ここは穴場でお勧め。 弁当持参で一日遊べる。 事前に町へ使用許可を取れば、本格的なBBQやキャンプもできる。 財団法人千葉山田海洋センターの、カヌー練習場でもある。 水色は、マッディー。ボトムは、泥(元、水田)。 BASSは繁殖しているが、最大30cm級と小型だ。 よしさんは取材の試し釣りで、32cmをゲット!(ラバージグ+パドルテール) 堰を半周する遊歩道が、整備されていて、釣り人のアプローチは容易だ。 |
| 黒部川( 流路延長17.5km ,流域面積 48.0ku,別項参照 )中流域の |
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支流に位置する。 橘堰の名は、「慶長 10(1605)年、田部・仁良村境の水田60石に橘堰を築く」と、香取郡誌に見える。 房総の水たまりには、弁天池(慶長沼・旭市/別項参照)・雄蛇が池 (東金市/別項参照)・女ケ堰(長生郡睦沢町/別項参照)等、 慶長年間に築かれたものがあり、その多くは今も現役で活躍している。 |
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1884( 明治17)年の、大日本帝国参謀本部陸軍部測量局の迅速測量図「鏑木村」には、上流側が更に幅40m・長さ150m程広がった 橘堰が、表されている。 現在の地形図を併せて見ても、橘堰付近は百年間の時の流れを感じ させない。 山・水田・集落、先代・先先代が営々と築いて来たもの、変わり が無く、事が無い。これが文化ダナと素直に思う。 |
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1909( 明治42)年、田部の耕地整理が完了し、堰も改築された。1938( 昭和13)年03月23日、田部耕地組合が設立され、総工費5,487円36銭 (橘溜池4700円14銭・荒波溜池787円22銭)により、 1938(昭和13)年03月31日、溜池改修工事(水門・早干しのコンクリ−ト化)の竣工を見た。 橘堰は、 1978(昭和53)年08月20日、山田町指定文化財となった。桜と柳が、植樹されている。 盛土の堰堤に、水門と越流式余水吐けを持つ。 谷津の湧き水を集めて、流入する水門が1ケ所。 流末は、黒部川を経て、利根川(流路延長322km,流域面積16,840ku, 別項参照 )へ入る。北に、ゴルフ場 (千葉スプリングスカントリ−倶楽部)が隣接している。名高い府馬の大樟 (くす)は、指呼の間にある。 |
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利根川からの潅漑用水取水事業は、北総東部用水事業・国営大利根 用水農業水利事業(兼田貯水池の項参照)等がある。 北総東部用水事業は、香取郡を中心とした北総台地一帯に土地改良 事業を実施(畑地3,600ha・水田2,100ha)し、利根川から新たに 潅漑用水(最大7.94m3/分)を確保。 取水口は、利根川の38.5km地点右岸である。 取水口から船戸揚水機場迄の導水路920mは、自然流下の開渠。 船戸揚水機場以降の水路43.3kmは、全線をパイプラインとし ポンプによる圧送である。 船戸揚水機場には、ポンプ(縦軸渦巻型/口径1,200×800mm×2台・ 口径600×400mm×2台・全揚程50.0m)、モ−タ−(三相誘導電動機 /出力2,100kw×2台・出力550kw×2台)が設備された。 基幹用水(いわゆる国営級施設)の建設は、水資源開発公団が、1970 (昭和45)年度着工。 総事業費202億円を投じて、1981(昭和56)年03月完成。 北総東部用水事業により、従来の畑作(甘薯・落花生等の耐旱性作物 が主体)や、天水と僅かな湧水に頼る谷津田の用水事情が改善された。 佐原市・大栄町・多古町・栗源町・山田町・小見川町・干潟町・ 八日市場市にわたる受益地は、近代的営農形態へのネックを解消した。
昭和初期の橘堰・黒部川近辺のタナゴ釣りについては、益田 甫の 『河川の釣』に案内されており(260PP)、一部を引用してみよう。 「銚子行省線佐原から三つ目の小見川駅で下車し、旭町行のバスで田部 又は小見川町の町はづれで下り、橘池から流れ出る小川を黒部川との 合流点まで上下する。本流の合流点付近もよい。此の川の下流は小見川町 を貫流して利根川に注いでゐるが、町中にも魚影は相当に濃い。 環境を嫌って釣らない人もあるが、何か江戸時代の面影が偲ばれて なつかしい釣気分である。」 また、小見川のフナ釣り・佐原や神崎のフナ釣りは、西澤邦次が 『釣魚随筆』で紹介している。 |
Reference Books. | ||
〇釣魚随筆 西澤邦次 | 1936(昭和11)年10月05日 | |
新小説社 | ||
〇河川の釣 益田 甫 現代日本の釣叢書 | 1941(昭和16)年11月20日 | |
水産社 | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○水登ともに (No.162) | 1977(昭和52)年04月 | |
水資源開発公団 |