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| 0056 |
| 岩婦湖(いわぶこ) Iwabu dam |
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| 千葉県安房郡富山町竹内 |
1地形図 | 那古7109, |
分 類 | 溜め池(潅漑用) |
別 称 | なし |
| JR内房線岩井駅より、南東へ約1.5km。 国道127号線を下り、富山町に入り、"市部"信号を左折。 JR内房線を渡り、県道富山・丸山線を東進。 1km先の"芝入口"バス停(右ト・狭い!)を右折南下。 |
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| 不詳 |
| 8m |
| ・・ |
| 不詳 |
| 1600〜1700年代。 |
生息確認年月 | 1995(平成07)年12月27日確認 1999(平成11)年07月18日確認 |
| 貸しボート・売店・公衆トイレ、なし。 |
| 町の中心から、2km程離れた山中に、 |
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ひっそりと佇む人造湖。小場所。水色は、ややマッディ−。水藻あり。
岩婦湖の西岸の車道からの釣りは、往来の危険防止のため 遠慮すること。駐車スペ−スは少ない。 40cm級のヘラブナもいたが、1977(昭和52)年10月 排水口の故障により、湖底を見せた。 東岸は山林で、アプロ−チは困難。 水面へのアプロ−チ事情から、多くの釣果は望めない。 「ついでに様子を見に行く」程度の場所と、心得よう。 湖畔の旅館(岩婦館と伏姫荘)には鉱泉が沸く。 岩婦湖のすぐ西に、館山自動車道路(延長部分)が建設工事中。 |
| 岩婦湖は、高崎水利組合が管理している。 |
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湖面の標高は、36.2m。 流末は、岩井川(流路延長14.5km,流域面積14.4ku)に入る。 富山町に大谷川ダム(上水源)がある。 大谷川ダムは、1974(昭和49)年に完成した重力式ダムで、 堤高25.5m・堤頂長50.0m・有効貯水量173,000m3である。 |
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富山(標高349.5m)は、1814(文化11)年刊・滝沢馬琴の ベストセラ−フィクション小説「南総里見八犬伝」で、有名になった。 作中人物が実在し、この小説が史実であったかのように伝わる見本だ。 東京・九段の大手地図会社発行の地図でも、 富山に「里見八犬士終焉の地」と標記されている。 |
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史実によれば、房総の戦国大名里見氏は、忠義をもって 終わったのである。 1614(慶長19)年09月09日忠義(21才)は、江戸城にて二代将軍 徳川秀忠(36才)から国替えを命ぜられ、安房国は没収・ 鹿島郡(茨城県)3万石の替地は、伯耆国(鳥取県)倉吉となった。 これを聞いて正木大膳亮ら家老重臣は、駿府の徳川家康 (先代将軍)に哀願したが許されず、忠義と重臣は国許・安房に 帰ることなく、そのまま伯耆国倉吉へ出立した。 江戸を出てから90余日、1614(慶長19)年12月、倉吉に到着。 1622(元和08)年06月19日、忠義は29才で病没。 葬儀を済ませた板倉牛洗斎ら家臣8人は、3ケ月後の命日 1622(元和08)年09月19日、主君の後を追って、故郷(千葉県) を遠く離れた山陰の山中で殉死した。 因に、家康は1616(元和02)年04月、75才で没。 秀忠は1632(寛永09)年01月、54才で没した。 10代・170年にわたり安房を支配した、戦国大名里見氏 関係の資料は、館山市立博物館(電話0470−23−5212、 /月曜・祝日・年末年始休館)本館に網羅されている。 館山市立博物館は、里見氏の居城跡である城山公園に位置している。 併せて、200年前の史実をヒントに創作した、滝沢馬琴の 小説「南総里見八犬伝」に関した、夢とロマンのある資料も、 天守閣形式の分館に展示されている。 |
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富山の更に東方に、房総には珍しい独立峰、伊予ケ岳(標高336.6m) がそびえる。 伊予ケ岳の裾、富山町平久里中に、富山町民俗資料館(電話0470− 58−0494/要電話)がある。 南隣の富浦町は、大部分が丘陵地のため田畑が少なく、 ビワを斜面を利用して栽培。長崎市茂木(もぎ)と並ぶ大産地である。 鯨の骨を細かく砕き、蒸して油を絞った後、 肥料として昭和初期迄使用されていた。 房州のビワが甘くて美味なのは、和田浦の捕鯨のお陰であったと 云われている。 |
Reference Books. | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○南総の豪雄・里見義堯 川名登 | 1968(昭和43)年03月25日初版 | |
人物往来社 | ||
○千葉日報 | 1972(昭和47)年09月26日 | |
○全へら通信 | 1977(昭和52)年10月05日号 | |
全へらぶな連合会会報 | ||
○鯨のなんでも博物誌 滝谷節雄 | 1993(平成05)年03月15日第1刷 | |
講談社 |