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| 0053 |
| 外浪逆浦(そとなさかうら) |
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| 茨城県潮来市(旧行方郡潮来町)、神栖市(旧鹿島郡神栖町) 千葉県香取市(旧佐原市+旧千葉県香取郡小見川町) |
1地形図 | 潮来 0787,0797,0798,0799, 佐原東部 1407,1408,1409,1417,1418,1419,1428,1429, |
分 類 | 湖 |
別 称 | 古鬼怒湾、香取の海、浪逆海(なさかのうみ)、流海(ながれのうみ)、 浪逆浦(なさかのうら)、内浪逆浦(今はありません)。 |
| JR鹿島線潮来駅より、東へ4km。 東関東自動車道路潮来ICを出て、正面の信号(T字路)を左折。 300m先の信号を左折東進。東関東自動車 道路を潜って、直進300mで、外浪逆浦の堤防に出る。 |
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| 7.3ku |
| 8.9m |
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| 原型は往古。淡水化は、1500(明応09)〜1600(慶長05)年頃。 |
生息確認年月 | 1986(昭和61)年 1994(平成06)年05月26日 |
| 貸しボート・売店なし。トイレと駐車場は、鰐川橋南詰にある。 |
| 霞ケ浦(別項参照)から流出する河川は、 |
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常陸利根川(流路延長25.5km,/別項参照)だけである。 ここから更に、外浪逆浦を経て、利根川(流路延長322km,流域面積16,840ku,/別項参照)へ入る。 一方、北浦(別項参照)からも鰐川(わにがわ・流路延長9km)を経て外浪逆浦に流入する。 水深は、インレットの常陸利根川合流部付近で3〜4m。鰐川合流部付近で5m。 アウトレットの常陸利根川合流部付近で5m部分があるが、他は全体的に浅く2〜3m程度。 しかし最近は浚渫が続き、10〜15m、最深部は20mにも達するとされる。 水色は、年中ややマッディー。 湖岸線の殆どは、コンクリート護岸であり足場は良い。 護岸の内側に湿地帯が僅かに残る部分もある。 堤防沿いに車でアプローチができる。 ドック・杭・テトラ・水門・ブレイク・葦等のストラクチャーがある。 大型の運搬船等が航行するので、引き波に注意しよう。 |
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BASSの生息開始年月については、1985(昭和60)年常陸利根川の北利根橋付近で確認(村田基) されたことと、よしさんも1990(平成02)年09月28日常陸利根川で確認したこと等から、 1985(昭和60)年か遅くも1986(昭和61)年には、霞ケ浦から常陸利根川を通じて侵入したと推定される。 BASSの平均サイズは、30〜35cm程度。 鵜・コサギ・アオサギ・タニシ・カラス貝・鯉・連魚等が生息。 それにしても、霞ケ浦・北浦水系は、汚い。 犬・猫の死骸が浮いている。 ボラや連魚、鯉の死骸も浮いている。それもおびただしい数。 そして、異臭が鼻を突く。衣服に染み込む。 悲惨なのはBASS。 水門の前、ドックの中で投網を打ち、獲ったBASSだけを陸にころがして放置する人がいる。 魚は埃にまみれているが、まだ生きている。 鳥に目玉をくりぬかれ、やがてハエが集って、蛆の巣となる。 そんな光景が、そこにも、ここにも。 これでは霞ケ浦・北浦水系のBASSの、未来は暗い。 資源として扱う方向が、検討されてよい。 |
| もと香取の海と呼ばれた海跡湖で、湖岸周囲は、15kmである。 |
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浪逆という地名は、奥に北浦・霞ケ浦の広大な水域を有する故、上げ潮の時、波が特にさかのぼる 様から起こったものという。 また鰐川は、「悪龍、すなわち鰐魚(がくぎょ)の住みて、土民を悩ましし所なり」と伝承されている。 この場合の「鰐魚」とは、クロコダイルやアリゲーターのワニではない。 古語に言う鰐は、ワニザメ、つまり「フカ」を指す。 元来、入り江=海だから、「フカ」が遊弋していたものだろう。 |
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常陸逆水門(常陸川水門)は、洪水と水田の塩害防止を目的に、1963(昭和38)年5月完成。 その開閉は、茨城県水流調節委員会が千葉県他の機関と協議の上、建設省に要請して行うが、 季節により大差がある。 一例として1973(昭和48)年の場合、8月には閉鎖時間が最大となり、18〜24時間/日は閉鎖 (744時間/月の内、閉鎖時間659.69時間で閉鎖率88.7%)である。 1974(昭和49)年1月には閉鎖時間が最小となり、4〜6時間/日の閉鎖(744時間/月の内、閉鎖時間25.7 時間で閉鎖率3.5%)である。 夏季は閉じて、冬季は開くパターンとなる。 これにより、水域が閉鎖され、海との遮断で遡上魚の鰻・ボラ・サヨリ・マハゼの漁獲が減る。 草魚/連魚(ハクレン・コクレン)の稚魚も遡上出来ない(利根川中流の特定場所で産卵され、流下卵は 利根川下流で稚魚となり、常陸逆水門から霞ケ浦・北浦へ上る)。 海水の流入が無くなると、シラウオ・イサザアミ・ヤマトシジミ等が純淡水化による影響を受ける、 等の生態系問題が起こった。 他方、農業用水・工業用水・上水道水源側は、水域が閉鎖され淡水化方向に向かう事が望ましく、 霞ケ浦・北浦の漁労は、従来の慣行習俗とは異なった行き方に移行を余儀なくされた。 |
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1965(昭和40)年鯉養殖が本格化。 1968(昭和43)年07月ワカサギの帆引き船が姿を消し、 1969(昭和44)年02月鹿島工業用水の給水開始。 1974(昭和49)年04月06日常陸逆水門閉鎖・淡水化へ。 外浪逆浦の東岸、筒井水門〜立野水門付近には、過去の時代の海水が地下水中に残されており、 塩素イオン226mg/lの記録もある。
外浪逆浦付近の干拓は、鰐川250ha[1928(昭和03)年起工・1941(昭和16)年竣工]。 仲の洲17ha[1933(昭和08)年起工・1945(昭和20)年竣工]。 浪逆157ha[1934(昭和09)年起工・1949(昭和24)年竣工]。 日川72ha[1947(昭和22)年起工・1964(昭和39)年竣工]。 延方217ha[1959(昭和34)年起工・1966(昭和41)年竣工]。 市和田等である。 鰐川地区は、現在の鹿島町鰐川と神栖町鰐川となり、土地利用は水田・団地・浄水場である。 仲の洲地区は、現在の神栖町萩原となり、土地利用は水田である。 浪逆地区は、農地開発営団施工の干拓地だが、現在は潮来町日の出となり、土地利用は団地である。 日川地区は、現在の神栖町日川となり、土地利用はゴルフ場(ワイルドダックカントリークラブ)である。 延方地区は、現在の潮来町前川となり、土地利用は水田である。 市和田地区は、現在の佐原市市和田となり、土地利用は水田である。 |
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茨城県水産課により、霞ケ浦にヒガイが移殖放流され、繁殖・移動したことや、ヒガイの生態・ 釣法は、日本釣魚学会会長・村上静人が『ヒガヒ・石班魚釣秘伝』で触れている(21pp)。 与田浦・浪逆浦・北浦界隈のフナ・コイ・ナマズ・エビ・ワカサギ・ボラ・ハゼ・スズキ釣りの 様子は、昭和04年に家族と潮来に移り住んだ太田黒克彦の『水辺随筆』(『水辺手帳』1936の、 書名変更・増補改訂版)に、世相や暮らしぶりと共に詳しく描かれている。
関西からのヘラブナの移殖史は、渡辺利之助『へら鮒釣』に詳しく、一部を引用紹介して見よう。 「ヘラ鮒の起りを文献に依って調べて見ると、福島県信夫郡笹谷村と言うところに滋賀県から 移したと言うのが一番古い記録で、次に昭和02年に同じく福島県安積郡ゼンポウ寺の池に ゲンゴロウ鮒を入れたと言うのが古く、霞ケ浦方面は昭和05年に琵琶湖から親ブナを持って来て 神の池、牛久沼、菅生沼(何れも茨城県)に放ち、その一部分を茨城県の水産試験場で飼っておいて 翌年卵で霞ケ浦に放したと言うのが一番古い記録だと言われます(以下略)」 その後、昭和07年より北浦・涸沼に放流された・・。 ヘラブナ釣りファンなら、押さえておきたい小史である。
昭和初期の小見川・佐原・神の池近辺のフナ釣りは、西澤邦次の『釣魚随筆』に案内されている。 益田 甫は『釣ところどころ』で「鮒の水郷」(131pp)を紹介している。 |
1911(明治44)年の春、古泉千樫は香取鹿島を訪ね潮来に宿泊した。
雨あがり春の野みちを踏みてゆく 草鞋のそこのしめりくるかも 春の夜のあらしは止みぬ水の上の 鳥居の雫おちてひびくも 朝早み舟こぎいづれ湖かくむ 春の国べはいまだしづけし
古泉千樫の高弟橋本徳壽『古泉千樫とその歌』から、当時の様子を再確認してみる。
千樫から上京を相談された師伊藤左千夫は、1889(明治22)年04月より、
旅は、本所駅(現JR錦糸町駅)から総武本線の佐倉駅、佐倉駅から成田線の佐原駅 |
○潮来と鹿島香取 高塚丑之助 | 1918(大正07)年05月05日 | |
東京堂書店 | ||
1974(昭和49)年03月05日影印版 | ||
崙書房 | ||
〇川のほとり 古泉千樫 | 1929(昭和04)年06月03日初版 | |
改造文庫第2部第57篇 改造社 | ||
○ヒガヒ・石班魚釣秘伝 村上静人 | 1932(昭和07)年11月10日 | |
奎文社 | ||
〇青牛集 古泉千樫 | 1936(昭和11)年06月20日初版 | |
改造文庫第2部第253篇 改造社 | ||
〇釣魚随筆 西澤邦次 | 1936(昭和11)年10月05日 | |
新小説社 | ||
〇古泉千樫とその歌 橋本徳寿 | 1939(昭和14)年11月10日初版 | |
三省堂 | ||
〇水辺随筆 太田黒克彦 | 1942(昭和17)年06月25日 | |
日本電報通信社出版部 | ||
○釣ところどころ 益田 甫 | 1942(昭和17)年12月15日 | |
水産社 | ||
〇へら鮒釣 米地南嶺・渡辺利之助 | 1956(昭和31)年10月15日再版 | |
つり人社 | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○養魚講座2 土屋実他 | 1970(昭和45)年11月30日第3版 | |
草魚・姫鱒他 緑書房 | ||
○昭和53年度事業概要 建設省関東地方建設局編 | 1978(昭和53)年04月06日 | |
関東建設弘済会 | ||
○霞ケ浦の漁撈習俗 坂本清 | 1980(昭和55)年05月15日第1刷 | |
筑波書林 | ||
○日本のへら鮒釣り場写真集 | 1985(昭和60)年12月15日 | |
日本へら鮒釣研究会 編発行 | ||
○神栖町史 同編纂委員会 | 1988(昭和63)年03月31日 | |
上巻 神栖町 | ||
○霞ケ浦 読売新聞水戸支局編 | 1989(平成01)年09月15日 | |
筑波書林 | ||
○バスマップ霞ケ浦・北浦 | 1998(平成10)年04月27日 | |
(つりのとも別冊)釣りの友社 |