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| 0051 |
| 北浦(きたうら) |
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| 茨城県鹿島郡鉾田町、大洋村、大野村、鹿嶋市、神栖町、 行方郡北浦村、麻生町、潮来町、 |
1地形図 | 図副多数のため、省略 |
分 類 | 自然湖(海跡湖) |
別 称 | 鹿島流海、東浦、 |
| JR鹿島線延方駅より、北へ300m(下流部)。 鹿島臨海鉄道北浦湖畔駅より、西へ400m(上流部)。 鹿島鉄道鉾田駅より、南東へ2km(最上流部)。 東関東自動車道路潮来ICを出て、正面の信号(T字路)を右折。 100m先の信号を左折西進。"有料道路入口"信号を右折。 国道51号線を東進、北浦の神宮橋に出る。 |
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| 36.1km2 |
| 7.0m |
| 不詳 |
| 78.8km2 |
| 原型は往古。淡水化は、1500(明応09)〜1600(慶長05)年頃。 |
生息確認年月 | 1991(平成03)年07月04日以前 |
| サンワFハウス(北浦町三和)電話0291−35−3211(無休)、他数軒。 |
| みなさん、ご存知の北浦です。 |
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鹿島郡と行方郡の間に、南北に延びる周囲68kmの海跡湖。 富栄養湖であり、両岸に多くの入り江を持つ。 流入は、巴川・鉾田川等多数がある。 流末は、鰐川を経て外浪逆浦(そとなさかうら)に入り、 常陸利根川(流路延長25.5km,流域面積・・・)から、 利根川(流路延長322km,流域面積16,840ku,) へ出る。 岸辺は、ほとんどコンクリート護岸となった。 |
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沿岸帯(水辺の植生)は僅かに残るのみ。 釣り人には、堤防上を車でアプローチできるのが、嬉しい。 水色は、風雨によってクリアーから、マッディー迄変化する。 足場はコンクリートなので、良好。 ドック・杭・水門・橋桁・ブレイク・鋼矢板・インレット・ゴロタ石・オダ等の ストラクチャーがある。 ワカサギ・真鮒・ヘラブナ・ボラ・鯉・ウナギ・アユ・イサザ等が生息している。 |
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対岸へ渡れるのは、最上流部(鉾田町)・鹿行大橋(右岸北浦村/ 左岸大洋村)・北浦大橋(右岸麻生町/左岸大野村)・神宮橋 (右岸潮来町/左岸鹿島町)・鰐川橋/有料(右岸潮来町/左岸神栖町) だけである。 訪れる釣り人のマナーが悪く、ドック付近での釣りが近年、 禁止されてしまったのは、残念。 北浦には伝統の漁業があり、遊魚の歴史は浅い。 業の場(ドック=職場=会社と考えて下さい)に、ズカズカと入り込んで、 漁船・魚網を傷める、ゴミを放置するでは、地元の理解は得られまい。 ビジターとして、数段も謙虚に「ご迷惑は掛けません。そっと釣らせて 頂きます」という態度がほしい。 |
| 「利根川治水考」(根岸門蔵)は、1908(明治41)年の刊行である。 |
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同書に曰く。 治水の根源とは何ぞや、即ち河川の水源たる所の山林これなり。 古人曰く、樹木は貯水池なりと、又曰く、水を治めんと欲せば、 先ず山林を治めよと。 そして森林と河川の関係を
1 森林は降雨を促し水源を涵養することで、河川の枯渇を防止する 2 森林は水分を保有し、土地の乾燥を防止する 3 森林は雨水を含蓄し、流出係数を下げるため、河川の洪水を緩和する
4 それらにより、土砂流出を防止し、河床が高くなることを緩和して、 河川の氾濫を減少させる。 としたうえで、植林を説いている。 |
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更に同書に曰く。 古くは、(弘仁12)年嵯峨天皇の時代の太政官布告、 下って1666(寛文06)年02月四代将軍家綱が、 1742(寛保02)年02月八代将軍吉宗が、 1786(天明06)年十一代将軍家齊が、繰返し植林の重要性を唱えている。 例えば八代将軍吉宗は、代官に令して曰く。 河辺の官有林・農民の持山共に所々伐採し跡地を新畑にすることは、 堅く行ってはならない。 万一伐採せねばならぬ時は、その跡地は官有林になるよう心掛けること。 農民も同様にすること。 河辺の官有林の枝が多い時は下枝を卸し、木が込合う所は透かすこと。 山から土砂崩れのある河辺には、雑木を植えて伐採し再度植えて 伐採を繰返せば、根入れ深くなり河川への土砂止めになろう、 とある。 |
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森林と釣りの接点があるのか、との声が出そうだが関係は次の通りです。 「水の旅」(富山和子)に、森林は海のサカナを養う、との一文があり、 そのサワリを紹介しましょう。 保安林。 水源涵養保安林・土砂崩壊防備保安林・防風防霧保安林・ 防火保安林等17種類もの保安林の中に、魚つき保安林がある。 漁民は森林が魚を養うことを知悉していた。 江戸時代には、魚つき林として藩の手で森林が保護されてきた。
1 森林の作る養分が魚に餌場を提供する 2 森林の梢が日光を遮り、魚の棲み家や産卵場に程よい日陰を提供する 3 森林があれば、水が濁らない 4 ゆっくりと出てくる水は、一定水温である。
例証として、新潟県村上市の三面川の鮭・北海道厚岸湾の天然カキ・ 襟裳岬のコンブ/ウニ/蛸等が揚げられている。 当然、淡水魚にも該当するものと、よしさんは考える。 |
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茨城県水産課により、霞ケ浦にヒガイが移殖放流され、繁殖・移動 したことや、ヒガイの生態・釣法は、日本釣魚学会会長・村上静人が 『ヒガヒ・石班魚釣秘伝』で触れている(21pp)。 昭和初期の北浦近辺のタナゴ釣りについては、益田 甫の『河川の釣』に案内 されており、雁通川・蔵川川・山田川・小舟津川・巴川等が見える(262PP)。 与田浦・浪逆浦・北浦界隈のフナ・コイ・ナマズ・エビ・ワカサギ・ボラ・ハゼ・ スズキ釣りの様子は、昭和04年に家族と潮来に移り住んだ太田黒克彦の 『水辺随筆』(『水辺手帳』1936の、書名変更・増補改訂版)に、世相や 暮らしぶりと共に詳しく描かれている。 北浦蔵川ワンドのマブナ釣りは、『大崎紀夫のにっぽん釣りあるき』に 書き留められており、これがなんと32cmの大物である(24pp)。
関西からのヘラブナの移殖史は、渡辺利之助『へら鮒釣』に詳しく、一部を引用 紹介して見よう。 「ヘラ鮒の起りを文献に依って調べて見ると、福島県信夫郡笹谷村と言うところ に滋賀県から移したと言うのが一番古い記録で、次に昭和2年に同じく福島県 安積郡ゼンポウ寺の池にゲンゴロウ鮒を入れたと言うのが古く、霞ケ浦方面は 昭和5年に琵琶湖から親ブナを持って来て神の池、牛久沼、菅生沼(何れも 茨城県)に放ち、その一部分を茨城県の水産試験場で飼っておいて翌年卵で 霞ケ浦に放したと言うのが一番古い記録だと言われます(以下略)」 その後、昭和7年より北浦・涸沼に放流された・・。 ヘラブナ釣りファンなら、押さえておきたい小史である。
霞ケ浦(別項参照)・北浦周辺には、多くの溜池がある。 土浦市に、乙戸沼/おっとぬま(乙戸)・大池(宍塚)・赤池(木田余/きだまり) ・鶴沼(菅谷町)、出島村に戸沢池(宍倉)、石岡市に、上谷原池(三村) ・傾城池(東大橋)・生板池(東大橋)・金山池(染谷)・三ツ谷池(正上内)、 玉里村に、野村田池(栗又四ケ/くりまたしか)・中台池(上玉里)・ 田木谷池(田木谷)・小川町に、陣屋池(倉数/くらかず)・紋屋池(与沢) ・新田池(山野)・北山池(外之内/とのうち)・新池(中延)・半溜池(野田) ・菜洗池(世楽)・桜池(世楽)・稲荷前池(佐才/さざい)・高場池(上合)、 玉造町に、新溜池(羽生)・中池(手賀)・ハス池(手賀)・新池(手賀)・ ゴンダユ池(手賀)・下池(手賀)・女池(西蓮寺)・男池(西蓮寺)・ 大清水池(西蓮寺)・五りょう池(西蓮寺)・油田池(西蓮寺)・上池(井上) ・中池(藤井)・藤池(藤井)、麻生町に、鳴沢池(青沼)・善姓池(島並) ・松兼池(島並)・黒熊池(島並)、牛堀町に大膳池(島須)、 潮来町に、川尾池(築地/ついじ)・泉上池(釜谷)・中池(釜谷)等がある。 |
【注】新・鹿行大橋は、2012年04月26日開通しました。 旧橋崩落により死亡された方に合掌。よしさん(記:2013年09月15日) |
【注】2011年03月11日発生の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」により、
国道354号の北浦に架かる鹿行大橋は、崩落し通行止めになっています。 行方市北浦地区と鉾田市大洋地区間の移動は、北側の鉾田市街地か南側の北浦大橋を使用し、約20Km迂回になります。 茨城県は既に施工中であった新・鹿行大橋の完成を、2012年夏に前倒し施工の方針です。 東日本大震災により被害を受けられた方々に心よりお見舞いを申し上げます。よしさん(記:2011年05月01日) |
○ヒガヒ・石班魚釣秘伝 村上静人 | 1932(昭和07)年11月10日 | |
奎文社 | ||
〇河川の釣 益田 甫 現代日本の釣叢書 | 1941(昭和16)年11月20日 | |
水産社 | ||
〇水辺随筆 太田黒克彦 | 1942(昭和17)年06月25日 | |
日本電報通信社出版部 | ||
〇へら鮒釣 米地南嶺・渡辺利之助 | 1956(昭和31)年10月15日再版 | |
つり人社 | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○利根川治水考 根岸門蔵 | 1977(昭和52)年03月10日 | |
(影印版) 崙書房 | ||
〇大崎紀夫の にっぽん釣りあるき 大崎紀夫 | 1986(昭和61)年05月10日初版 | |
新門出版社 | ||
○水の旅 富山和子 | 1993(平成05)年03月10日第1刷 | |
(文春文庫)文芸春秋 | ||
○バスマップ霞ケ浦・北浦 | 1998(平成10)年04月27日 | |
(つりのとも別冊)釣りの友社 |