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| 0050 |
| 名熊ダム(なぐまダム) Naguma-reservoir. |
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| 千葉県いすみ市(旧夷隅郡大原町)下布施名熊 |
1地形図 | 御宿6427,6436,6437, |
分 類 | ダム湖(潅漑用) |
別 称 | なし。 |
| JR外房線浪花駅より、西に約4km。 国道297号線(大多喜街道)の大多喜から、国道465号線に入り東進。 大原町の"山田"信号を直進南下。 県道夷隅御宿線となり、下布施の信号を右折。 T字路は右。次のT字路は左。 |
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| 5.0ha |
| 10.0m(よしさん推定) |
| 245,000m3 |
| 0.7km2 |
| 1976(昭和51)年 |
生息確認年月 | 1991(平成03)年06月01日確認。 |
| 貸しボート・トイレ・売店なし。駐車スペースあり。 |
Special Feature. | 山里に、ひっそりとたたずむダム湖。 |
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湖岸に道はあるが、手入れが少なく、荒れて歩行も困難。 もちろん車両の通行は不能。 堰堤からは、楽にキャスト出来る。 水色はクリアーから、かなりマッディー迄変化する。 BASSは、30cm級が主体だが、 1991(平成03)年には、53cmを釣った大原中学2年生がいる。 インレットは4ケ所。馬の背や水没立木・ワンドもある。 ロッド1本と、ポケットに入る小さなタックルボックスを持ち、 湖岸を一周歩いて釣れば、2〜3時間は遊べる広さだ。 |
history. | 1966(昭和41)年頃、地元有志により、ほ場整備推進委員会が結成され、 |
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1970(昭和45)年05月12日農林水産省事業採択、同年05月27日千葉県 耕第243号で千葉県営ほ場整備事業に確定。 続いて、同年06月30日千葉県第756号で、土地所有者354戸を擁する、 布施土地改良区が認可・設立された。 以来、1981(昭和56)年の、ほ場整備完成までに、ダム建設費を含め総額 17億円が投入された。 名熊ダムは、千葉県が1974(昭和49)年に着工したアース式ダム。 堤高18.5m、堤頂長119.0m、堤体積49,000m3で、 有効貯水容量は、202,000m3とされるが 一説には、200,000m3(大原町史)。 揚水量は、0.22m3/分、送水管延長8603m、 送水管径45〜75mm。 施工は阿部建設、総工事費用は3億6千6百万円である。 □ □ □ この地区は、旧布施村である。 旧布施村は、下布施・上布施・実谷(じっこく)・七本(ななもと)から成る。 町村合併促進法により、1955(昭和30)年03月31日、 旧布施村の実谷・七本と上布施の一部(新宿・小幡・立山・新久井)が、 御宿町となった。 又、上布施の一部(三島・押替)と、下布施が大原町へと分離合併した。 この結果、上布施は集落の小字単位で別々の自治体(大原町と御宿町) に属す、と言う変則の事態となった。 例えば大原町上布施となった地区の小学生は、以前なら300m程歩いて 通学出来たが、今は5km離れた学校へ通う。 学区のお付合いだけでなく、旦那寺・選挙区等にも変則さが波及する。 千葉市でも区制施行時点で、宮野木地区が稲毛区と花見川区に 分割された例がある。 |
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下布施には、上総介平広常の伝承が多い。 この地、南西隅の高台を殿台と云い、広常の居城であったと伝う。 1971(昭和46)年、大原町文化財審議委員会が殿台城址を調査し、 相当の城跡と推定された。 眼下が、名熊ダムである。 流末は、名熊川から落合川(流路延長25.0km,流域面積47.1ku,)に入り、 夷隅川(流路延長67.5km,流域面積299.4ku)へ合流し、太平洋に至る。 1949(昭和24)年再刊の『釣魚手帖』では夷隅川の魚類に、ボラ・ ウナギ・ドジョウ・コイ・フナ・ハゼ・エビ・クロダイ・アユ・ウグイ (ハヤ)・オイカワ(ヤマベ)を挙げている(154pp)。 大原町大原に、大原町文化センター郷土資料室(電話0470−63−1222) がある。 |
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井伏鱒二の「釣師・釣場」に大原を描いた「外房の漁師」があって、 「ヒキナハ」の話などが面白い。 |