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| 0044 |
| 宮島の池(みやじまのいけ)miyajima pond |
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| 千葉県山武郡九十九里町田中荒生 |
1地形図 | 上総片貝4144,4154, |
分 類 | 溜池(潅漑用) |
別 称 | 宮島沼・宮島池 |
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JR東金線東金駅より、東へ約6km。 千葉東金道路から、国道126号線(東金バイパス)を下り、 "掘上"信号を右折。 県道東金・片貝線を下り、東金市と九十九里町 の境界付近にある"学園前"バス停の100m先(左ト ・宮島池親水公園の表示あり)を左折。400m先の右側。 |
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| 約30,000m2 |
| 2m |
| ・・・ |
| 不 詳 |
| 原形は往古の湿地。開削年代は不詳(一説に1933(昭和8)年)。 |
生息確認年月 |
1979(昭和54)年07月22日。 1998(平成10)年09月13日。 2010(平成22)年09月03日未確認。 |
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貸しボート・売店なし。トイレ・駐車場あり。 |
| 宮島の池は、1991(平成3)〜1993(平成5)年、千葉県の「県営水環境整備事業/ |
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宮島地区」事業により、公園緑地として、どこぞゴルフ場の池かと見まごうほど美しく、 リニューアルされた。 最近は釣り場案内にも紹介されず、寂しい思いをしていたオールドファンなら、もう一度 訪ねてほしい。 昔は、松並木に囲まれた小場所で、岸辺は雑草の生い茂る野原であったが、整備されて 今は、中の島・四阿&ベンチ・遊歩道ありとなり、子供連れの釣りや、初心者のキャスト 練習には好場所になった。 全体は幅100m長さ300mの長方形で、小池とその3倍もある大池に、別れている。 小池は菱藻が水面を覆い、大池の水面はオープンだが、水色はマッディー、夏季はアオコ 現象が発生することもあり、石積み&杭護岸・橋脚・マコモ・ガマのベジテーションがある。 整備後、ヘラブナ・コイは宮島の池に戻されたようだが、カムルチー・マブナ・他の生息 状況は、不明である。 宮島の池は、千葉県内のBASS釣り場としては、草分け的存在の一つで、宮島の池の 名を知るか否かで釣り人の経歴が知れた。 BASSは、1975(昭和50)年から世代交代をし、1998(平成10)年頃は25〜30cm級 が主体であった。 ロケーション的に、海水浴で混雑する街道なので、夏季の週末釣行は避けたい。 |
| 現在の宮島の池東方に、海岸線が後退した頃、作田川(流路延長18.5km,流域面積 |
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129.0ku,)から流出する水が、北東の海流に押され出口を失い、当時の河口砂州の 南西の、後背底湿地(Back marsh)に形作られた湖沼群の一つと推定される。 大沼・下沼・浮沼・葦沼・南沼・上沼・大沼(小関)・弁天沼(別項参照)も、かつて の潟(Lagoon)の残象であり、成因は、坂田池(別項参照)・海老川沼・川口沼・ 乾草沼(別項参照)等も同様である。 宮島の新田開発は、寅新田と云うように、1746(延享03丙寅)年である。 1883(明治16)年の大日本帝国参謀本部陸軍部測量局の迅速測量図「四天木(してんぎ) 村」に、幅50〜100m・長さ約1700mの、北東から南西へ連なる湿地として 描かれ、1919(大正08)年発行『稿本千葉懸史』の「宮島沼」の項に、「片貝村大字 田中荒生の中央に在り、松之郷溝渠此処に至りて貯留す、縦百八十間・横百三十間・ 面積一萬八千坪あり、水田凡そ五十町歩に灌漑す。」と見える。 現在の宮島の池は、当時の宮島沼の北東部に該当し、南西部は大沼集落迄達していた。 宮島の池が親水公園として整備されたことは、ご同慶の至りだ。 付近は、九十九里鳥獣保護区でもある。 |
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潅漑用水に乏しいこの地区では、沼沢が重要な溜池の任務を果たしてきたが、地形傾斜 がないため用水・排水として不完全で、干ばつ毎に水田底を他人の水田底より少しでも 低く「床下げ(底抜き)」し、水を呼び、底抜きで発生した土砂を盛り上げて畑とした。 時には、水田の中央に(畑に通う道もなく)畑が位置するから、この畑は島畑(しまばた) と呼ばれ、砂堆列間に水田と島畑が点在する景観は、先祖代々の歴史が刻まれた地区 の顔であり、歴史(生活)が風景を作った事例である。 隣の集落小関は、伊能忠敬出生の地だ。 九十九里町役場隣の、九十九里町立いわし博物館は長期休館中で残念だが、作田川 河口・九十九里橋付近(右岸)に竹久夢二詩碑が建ち、徳富蘆花の「九十九里」に、 隆盛時の地引き網漁が生き生きと描かれている。 宮島の池から東金方面へ向う街道沿いに、「柚子羊羹」で有名な湖月堂の工場直売店 (電話0475-58-6125 東金市薄島154-1)があり、お土産は柚子羊羹・柚子ジュースが よしさんの推奨で、うれしいことに自宅からの「お取り寄せ」もできる。 |
○稿本千葉懸史 巻上 | 1919(大正08)年05月05日 | |
編纂:千葉懸 発行:能勢鼎三 | ||
【完全復刻版】 | ||
1984(昭和59)年05月30日 千秋社 | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42年) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○九十九里町誌総説編 | 1975(昭和50)年05月31日 | |
九十九里町誌編集委員会 九十九里町 | ||
○月刊つり人 投稿記事 | 1979(昭和54)年10月(第34巻第10号) | |
長谷川 廣 つり人社 | ||
○伊能忠敬 | 1988(昭和63)年05月(改訂版) | |
水郷佐原観光協会 | ||
○「九十九里町 宮島池」 | 開設:2006(平成18)年 閲覧:2010年09月20日 | |
(社)千葉県造園緑化工事業協会 |