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| 0037 |
| 洞庭湖(どうていこ) |
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| 千葉県長生郡一宮町一宮、東浪見(とらみ) |
1地形図 | 上総一宮5179,5189, |
分 類 | 池(潅漑用) |
別 称 | な し |
| JR外房線上総一宮駅より、南へ約2.5km。 国道 128号線(房総横断道路)を下り、一宮町の市街地を抜け、JR外房線が国道に接近したら、Y字路風の右トを右折。 道なり直進。 隣の谷津のT字路は、左折南下。 |
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| 66,000u |
| 6m |
| ・・・ |
| ・・・ |
| 不詳 |
生息確認年月 | 1982(昭和57)年10月25日(吉田幸二) 1998(平成10)年07月18日 |
| 貸しボート・トイレ・売店・駐車場なし。 |
| 林に囲まれた、3ケ所の池の総称。 |
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上流の西から、東の下流へと蛇行する、川筋にある。 最上流の池は地形も複雑で、ミニ・ダムの様相を呈す。 水色はグリーン系統で、ややクリアー。 水面の一部は、菱藻におおわれる。 幅40乃至50m〜100m・長さ約1000mで、中央の堰堤部は 足場も良好で釣り易いが、頭上の桜に注意を要す。 |
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下流の堰堤は土盛りで、内面はコンクリート・タイル貼り。 堰堤の基部からは砂岩のボトムに続いている。 減水で上流部に水がなくなっても、下流の池には水が残る。 ヘラブナが生息。 洞庭湖には松子川が流入。 流末は、一宮川 (流路延長37.3km,流域面積220.8ku)に注ぐ。 |
| 周囲10余町・面積20,000余坪(66,000u)と云われる。 |
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9代藩主加納久通が、上総国長柄郡に領地を与えられ大名となって、 一宮藩臣・岩堀市兵衞が着工。 洞庭湖を修め、水路を導き山腹に隧道を穿った。 工事は一宮町の中村吉兵衞が、継承し潅漑用とした。 1830 −1843(天保年間)、14代一宮藩主加納久徴が池を拡張し、桜数千株を湖岸に植樹、中国の洞庭に因んで洞庭湖と命名、 遊覧の地としたが、明治になり桜は枯れ、 1913(大正02)年には全滅。今は再び、桜の名所となって、3月下旬は花見で賑わう。 |
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1844( 天保15)年03月、一宮藩主加納久徴が陸奥の多賀城にならい、四方の里程を表記した碑を湖岸に建立した。 取水用に、コンクリート製尺八を持つ。 また下流の堰堤には、コンクリート製の越流式余水吐けを備える。 管理は一宮町東部土地改良区である。 |
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付近は鳥獣保護区に指定され、冬季はカモ類が飛来する。 すぐ上流には、二又池が続く。 1995( 平成07)年、農林水産省の新規事業「農村自然環境整備事業( 総合型)上総地区」に、睦沢町と共に指定された。洞庭湖では、湖岸に散歩路の造成・中の島への架橋・道路整備・ 松子川の拡幅と、トンボ池化が予定される。 この事業は、これまで個々に整備されていた農道・河川・溜池等を、 生態系保全の立場から連携して改修するもの。 2001( 平成13)年完成を目指し、総工事費26億円(農林水産省が50 %13億円補助・千葉県が30%7.8億円・一宮町と睦沢町が20%5.2 億円)をかけて、千葉県が施工する。一宮町に、親谷の堰 (別項参照)・細田堰(別項参照)・等がある。 |
○千葉県統計年鑑(昭和42年) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○長生郡郷土誌 | 【1913(大正02)年05月21日長生郡教育会】 | |
1976(昭和51)年06月20日影印版 崙書房 | ||
○へらぶな釣り場 小川恵亮 | 1978(昭和53)年04月25日初版 | |
@関東編 つり人社 | ||
○バス・フィッシング 吉田幸二 | 1984(昭和59)年02月15日第1刷 | |
アテネ書房 | ||
○朝日新聞 | 1995(平成07)年09月27日 | |
朝日新聞社 |