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| 0031 |
| 亀ケ城(かめがしろ) |
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| 千葉県いすみ市(旧夷隅郡岬町)中原 |
1地形図 | 上総長者5901,5911, |
分 類 | 溜池 |
別 称 | 中原堰・中原大堰 |
| JR外房線太東駅より、北東へ約1km。 国道128号線を下り、"太東灯台入口"信号を右折。 太東駅方面に1.5km直進し、"御宮前"バス停先80mを右折。 道なりに600m北上。 |
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| 5m |
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| 1574(天正02)年(推定) |
生息確認年月 | 1981(昭和56)年03月14日(吉田幸二) 1983(昭和58)年02月12日(井上博司) 1995(平成07)年08月未確認 1998(平成10)年07月18日未確認 |
| 貸しボート・トイレ・売店・駐車場なし。 |
| 水場で城と呼ばれている場所も、珍しい。 |
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それもそのはず、往時ここに城があり、城がなくなってからは、 城を取り巻いていた水域そのものを指すように、固有名詞が 転化したものだ。 広大な釣り場だが、ボートと水泳は禁止。 水色はマッディー、ボトムは土で、地山は砂岩。 |
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南の一角が仕切られ、メガネ橋で本湖とつながる。 堰堤は、盛土で一部は内面コンクリートタイル張り。 岸辺に小道が無く、ボートも不可となれば釣り人には、 どうすることも出来ない。 それ故、今では殆ど未開の場所として、今後の開拓の楽しみもあって 貴重である。 アメリカザリガニ・ウシガエルが生息。 燕が舞い、鷺山に鷺が繁殖している、周囲は、約4km。 |
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亀ケ城のBASSは古く、既に1981(昭和56)年04月には41.5cmが 釣られている。 しかし、同年夏に亀ケ城は、水抜きされた。 管理は、太東第2土地改良区中原区である。 亀ケ城の西に隣接してほぼ同型で、水面積の大きい、 鶴ケ城(別称、椎木堰/しいぎせき)がある。 鶴ケ城は、浅く、水面積が大きい割に、貯水量は少ない。 インレット(流入部)は、北の水田にある。 足場もよく、アメリカザリガニ釣りには最適なところだ。 ボトムは泥と砂であり、両池とも、自然の地形と推定される。 鶴ケ城には、1995(平成07)年12月シベリアからナベヅル4羽が 飛来し越冬。 流末は、夷隅川(流路延長67.5km,流域面積299.4ku)へ入る。 |
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先住民は古墳時代後期から居たようで、1972(昭和47)年07月 鶴ケ城周辺から当時の、土器破片が発見されている。 |
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ここに、亀岳山海雄寺と言う曹洞宗の寺院があったが、 安土桃山時代の1574(天正02)年10月、万木城主(夷隅郡) 土岐為頼が亀ケ城・鶴ケ城を築城し、亀井盤城と称した。 万木5支城の一つである。 |
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房総軍記によれば、房総の里見一族を征伐せんとした、小田原 城主北條氏直の催促に従い、万木城主土岐右京大夫頼春が 300余騎を小田原に援兵。 この間、土岐の城中無勢を聞いた長南城主武田兵部少輔信栄は、 1589(天正17)年04月に、家臣多賀六郷左衞門・勘解由左衞門と 400余騎を万木城へ向かわせた。 同時に家臣鶴見甲斐宇逞と70余騎・足軽射手100人・野武士50人を 亀ケ城へ、石黒(一宮)隼人佐逞と50騎・足軽射手70人・野武士100人を 鶴ケ城へ派兵し、自らは500余騎を率いて万木城を攻め、3城を落城 させた。 翌年1590(天正18)年には、本多忠勝が大軍を率いて房総に攻め込んだ ため、戦わずして二度目の落城。 当時から、湿地帯(又は水面)が存在したものと、推定される。 |
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岬町においては、農家数・経営耕地の減少、専業農家の兼業化の 流れの中、1960(昭和35)年頃より樹園地が増加している。 特産の梨が主で、従来の水稲型農家から水稲プラス梨型農家への 移行も進んでいる。 亀ケ城・鶴ケ城周辺には、梨園が広がっている。 岬町に、浅間堰(中原)・昭和堰(和泉)・大正堰(和泉)・新堰(和泉) 等がある。 |
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1949(昭和24)年再刊の『釣魚手帖』では夷隅川の魚類に、ボラ・ ウナギ・ドジョウ・コイ・フナ・ハゼ・エビ・クロダイ・アユ・ウグイ (ハヤ)・オイカワ(ヤマベ)を挙げている(154pp)。 夷隅川に、シロザケは帰る。 1980(昭和55)年12月11日、夷隅町万木地先、シロザケ(♂)体長 70cm・体重3kg。 同日、大原町日在地先、シロザケ(♂)体長45cm・体重2kg等である。 太平洋岸のサケは、利根川(流路延長322km,流域面積16,840ku, /)が南限とされてきた。 けれど一部は九十九里浜から栗山川(流路延長38.7km,流域面積 292.3ku,)を溯り、香取郡山田町に達していた。 山田町の山倉大神は別名鮭神社である。 さらに一部は、夷隅淡水漁協がシロザケの稚魚放流事業を始める 以前から、夷隅川にも遡上していた。 |
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サケに関する文化史は「日本のサケ」(市川健夫・日本放送出版協会)、 増殖は「サケ・マスの仲間」(佐野誠三・つり人社)、「サケ−つくる漁業 への挑戦」(佐藤重勝・岩波書店)、生態写真は「野外ハンドブック10 魚 淡水編」(桜井淳史・山と渓谷社)、大西洋サケについては「サケ」 (J.W.ジョーンズ 松井宏明訳・思索社)等がある。 サケの釣りは「魚の泪」(大庭みな子・中央公論社)、「フィッシュ・オン」 (開高健・新潮社)、漫画なら「釣りキチ三平」(矢口高雄・講談社)、 欧米は鱒が主流となり、アメリカもので「ヘミングウェイ釣文学全集上巻」 (谷阿休訳・朔風社)、「鱒釣り」(杉山透編・朔風社)、 「マクリーンの川」(ノーマン・マクリーン 渡辺利雄訳・集英社)、 イギリスものなら「イギリスの釣り休暇」(JR.ハートリー 永井淳訳・ 早川書房)等があって、釣り人たるもの、読書にもいそがしい。 |
○釣魚手帖 松崎明治 | 1949(昭和24)年01月25日 | |
丘書房 | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42年) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○夷隅郡岬町における農業経営の実態 | 1971(昭和46)年03月 | |
(昭和45) 千葉県農業会議 | ||
○岬町文化史年表 清水豊 | 1973(昭和48)年03月08日改訂2版 | |
岬町文化財審議委員会 | ||
○長生郡郷土誌 | 【1913(大正02)年05月21日長生郡教育会】 長生郡教育会 | |
1976(昭和51)年06月20日影印版崙書房 | ||
○ルアー&フライ秘密の釣り場 井上博司 | 1983(昭和58)年02月12日改訂4版 | |
大泉書店 | ||
○バス・フィッシング 吉田幸二 | 1984(昭和59)年02月15日第1刷 | |
アテネ書房 |