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| 0028 |
| 袋の溜池(ふくろのためいけ) |
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| 千葉県旭市鎌数 |
1地形図 | 旭3021,3022, |
分 類 | 溜池 |
別 称 | 袋下沼・西の溜池・西溜池・東の溜池・東溜池 |
| JR総武本線旭駅より、北へ1km。 国道126号線を東進し、旭市に入る。 新川を干潟大橋で渡って、 "旭市袋"の信号を、左折北上。300m先の、北総通運の先(Y字路・信号なし)を右(細い道)。 東溜池と西溜池の間に至る。 |
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| 2m |
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| 1672(寛文12)年 |
生息確認年月 | 1995(平成07)年08月08日確認 1998(平成10)年05月16日確認 |
| 貸しボート・売店・駐車場なし。トイレあり |
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市街地のすぐ北にあり、幅150〜100m・長さ700〜500mから
なる、への字形の、西の溜池と、道路を隔てた東の溜池 (幅100m・長さ400mの長方形 )で構成される。 |
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西の溜池は、 全周に遊歩道が整備されており、低い手摺りはあるものの、どこからでも自由にアプローチ可能だ。 岸辺の大方は、垂直の鋼矢板で、足元から水面までは、 1mほどのギャップがある。 杭・護岸等のストラクチャーがあるが、沈んだ自転車に根掛かり せぬよう、要注意! 西の溜池北側に、大利根用水が波を立てて流入する。 東の溜池は、 要所にベジテーションが残り、西の溜池よりも自然度が高い。 捨て石・釣り台・杭・護岸等のストラクチャーがある。 |
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BASSは、50cmアップまで実績があるが、最近は30cm級が 平均サイズで、東の溜池が好調。 水色は富栄養化の、グリーン系統。 一度は、ゆっくりと挑戦してみたい釣り場だ。 鮒・ヘラブナ・連魚等、多彩な魚種が、生息している。 ただし、雷魚は確認されていない。 過去に、鯉なら、体長1m・重量16kgが、餌釣りで釣られている 『1977(昭和52)年11月27日、土屋武則氏(当時、旭第2中2年)』。 また、フッコは、全長56cmが、ギャング(引っ掛け)で釣られている 『1978(昭和53)年01月07日、鈴木栄氏(当時、高校生)』。 |
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椿の海の排水用に掘られた、新川 (流路延長20.5km,流域面積120.0k u,別称刑部川)と、七間川(流路延長5.5km,流域面積7.0k u,)は、1670(寛文10)年12月28日完成。一帯の地質は、沖積層である。 |
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翌 1671(寛文11)年3月、椿の海の湖水は元の3割位に減り、稗を試作。 潅漑の水に乏しいことを恐れ 1672(寛文12)年、溜池14ケ所を周辺の各村に設置し、稲作を開始。 |
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この、椿の海干拓計画の立案は、釣り人である。 1615 〜1643(元和〜寛永)年の頃、江戸から釣りにきた侍、杉山三右衛門がこの沼の深浅を知り、幕府 (将軍は秀忠か又は家光 )に干拓計画を出願したのが起源と云う。【服部重蔵 (椿新田溜井惣掘の事)海上町史研究18号所収】によれば、袋の溜池は太田村にあり、水利権は鎌数村とある。 1674( 延宝2)年、椿の海(南北8km・東西12km・古称太田の湖水)は、干潟8万石と呼ばれる広大な水田 (2,700町歩≒8,100,000坪)となる。1696( 元禄9)年の村名は、春海・鎌数・新町・米持・秋田・万力・米込・入野・関戸・万歳・八重穂・夏目・幾世・清滝・大間手・長尾・高生・琴田 の18村である。 千葉県匝瑳郡誌によれば、「共和村鎌数の東方に横たわる 袋下沼は面積 114,000坪あり」と記載されている。1982( 昭和57)年12月18日、池畔に有志によって桜550余本が植樹され、花見の名所ともなる。 |
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椿の海の周辺には、松の木溜池 (別項参照)・亀城池(別項参照)・長熊溜池 (別項参照)・八丁堰(別項参照)・兼田貯水池(別項参照)・馬洗池 (別項参照)がある。また、旭市に、弁天池 (別項参照)・泉源池(東足洗)・川口沼(別項参照)があり、飯岡町に、上池 (三川)・中池(上永井)・沢松池(上永井)がある。そのいくつかには、BASSも生息しています。 |
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婦人の胸を飾るコサージに、カメリアがある。 椿は、カメリア・ジャポニカの名で、日本などが原産地である。 椿が日本からヨーロッパに渡ったのは、一説では18世紀とされ、 長崎からイギリスに渡り、後にヨーロッパ各地に広がったと云う。 16世紀半ばに、オランダに渡ったという別説もある。 アメリカには、ヨ−ロッパから椿が広がった。 日本から中国へ伝わった椿 (都波伎・津葉木・艶葉木)は、中国で海石榴と呼ばれた。 この文字が日本に逆輸入され、「日本書紀」・「万葉集」・「延喜式」に 採用されてもいる。 1615( 元和01)年の「武家深秘録」は、徳川2代将軍秀忠に花癖あり。名花を諸国に徴し、後園に植えたる等々と伝えている。 この花は、椿であった。 愛好家を越して、今風に言えば椿オタクであろう。 「椿の海」干拓の出願をした、釣り人・杉山三右衛門が、 将軍の癖を知っていたものかは、定かではない。 |
○千葉県統計年鑑(昭和42年) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○千葉県匝瑳郡誌 | 1921(大正10)年10月05日千葉県匝瑳郡教育会 | |
1976(昭和51)年06月30日復刻版 崙書房 | ||
○利根川・隅田川 安岡章太郎 | 1977(昭和52)年06月15日初版 | |
旺文社文庫 旺文社 | ||
○読売新聞 | 1978(昭和53)年03月17日 | |
読売新聞社 | ||
○利根川 千葉県立中央図書館編 | 1979(昭和54)年02月10日 | |
千葉県公共図書館協会 | ||
○市民手帖あさひ (昭和54年版) | 1979(昭和54)年09月 | |
旭市総務部庶務課 | ||
○干潟町の文化財要覧 | 1980(昭和55)年03月 | |
干潟町教育委員会 | ||
○八日市場市史 市史編纂委員会 | 1987(昭和62)年03月31日 | |
下巻 八日市場市 |