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| 0027 |
| 佐久間ダム(さくまダム) |
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| 千葉県安房郡鋸南町上佐久間、大崩、 |
1地形図 | 金束(こずか)6742,6752, |
分 類 | ダム(洪水調節用・潅漑用水用) |
別 称 | なし |
| JR内房線安房勝山駅より、東へ約6km。 国道127号線を下り、鋸南町に入り、 "下佐久間"信号を直進。すぐJR内房線を渡り、道なり。 県道外野・勝山線を東進し、 "森"バス停の先(左ト)を、左折登坂。 |
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| 16.4ha |
| 15.5m(洪水位)、13.9m(常時) |
| 1,270,000m3(有効貯水量は1,216,000m3) |
| 296ha |
| 1993(平成05)年02月。 |
生息確認年月 | 1993(平成05)年10月09日未確認。 1996(平成08)年01月14日未確認。 1998(平成10)年04月18日確認。 |
| 貸しボート・売店なし(飲み物・食料持参がよい)。 簡易水洗トイレ・駐車場あり。 |
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ここに、住みたい。
他人には教えたくない、と思う、よしさん秘蔵の釣り場。 水辺へは、簡単にアプローチできる。 水色は、ややマッディー。 |
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水面はUの字型で、底辺の位置がダムサイトにあたる。 規模は金山ダム (別項参照)に似るが、谷が広く周囲に集落もあり明るく開放的な雰囲気だ。 東の支流に、長尾橋が架かる。 インレット・岩場・シャロー・ベジテーション・ドロップオフ・水没道路 ・橋脚・蛇籠・エグレ・MMS等のストラクチャーがある。 鯉・カワセミ・ハクセキレイも生息している。 立地的に、西風には弱いが、風裏となる支流もある。 決定的に嬉しいのは、すでに50cmアップのBASSが、 キャッチ&リリースされたと言う情報だ。 (ゴックン)誰ですか、生ツバ飲み込んだのは? 佐久間ダム管理者(鋸南町)からのお願い★マイボート・フローターの持込は禁止です、ご協力をお願いします ★ゴミは必ず持帰りましょう ※2006年05月25日追記 thanks 鋸南町地域整備室 & Mr.m.sato, yoshisan. |
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佐久間川 (流路延長11.8km,流域面積18.0ku,)上流部、小萩川に千葉県により、設置された新しいダム。 |
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堤体は、中心コアー型フィルダムで、堤頂長186m・堤高25.5m・
堤頂幅6.0m、総工事費4,772,000,000円、 1976年着手、1990年竣工、施工は鹿島建設である。 1996( 平成08)年より、周辺整備事業によって、水上テラス(彫刻展示)・水遊びエリア・展望台・駐車場等が完成。 未就学児童でも、水に親しめる配慮がなされている。 現在も継続整備中である。 |
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人を寄せ付けぬダムが多いなか、 人を迎える親水設備等を施した、佐久間ダムならば、 高滝湖 (別項参照)、亀山湖(別項参照)に続いて、きっと成功するだろう。 祖先の開拓した耕作地が湖底に沈み、出現した湖水に人が拒絶 されることは、あまりにも悲しい。 永劫の悲しさの代償は、大分を補償金で補完しつつ、 湖水と周辺利用方法で贖われる性質のものだと思う。 田畑に水、人に夢を与える佐久間ダム。 関係者の英断に、惜しみない拍手を贈りたい。 欲を言えば、ビジターのために、小さなボート店1軒と、 コンビニ1軒があれば、申し分ないと、付け加えておこう。 |
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鋸南町吉浜に、菱川師宣 (もろのぶ)記念館(電話0470−55−4061月曜・年末年始記念館 )がある。彼の江戸時代美術界における業績、他の浮世絵師の作品を 併せて展示し、浮世絵から見た江戸時代風俗を総合的に展開 している。 浮世絵の巨匠・江戸浮世絵の創始者・菱川師宣は、 1618( 元和04)年鋸南町保田に生まれた。青年時代に江戸、京都等で狩野派、土佐派等の絵を学び、 風景画や装飾画を手掛けるうち初老となる。 いきいきとした、人間の風俗を新しい様式浮世絵として描き始め、 人々の心を捕らえた。 「武家百人一首」で注目を浴び、盛期には門人が 100人にも及ぶ菱川一派を成した。 落款に、房陽・房國と署名するほど故郷房州を愛した絵師だ。 1694( 元禄07)年没。 |
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釣り人として新しいダムの完成を喜ぶとともに、片方の目は、 水源である森林と、農地の行方を見守りたい。 土壌の生産力の大切さを再認識させてくれたのは、富山和子の 「水と緑と土」である。 「森林の荒廃は土壌の生産力を失い土壌そのものを失って いくことである。 それは森林資源の再生産を妨げ、侵食防止に力を貸す動植物の 種類と数とを減らしていくことであり、水資源をも失うことであり、 災害とも直結する。 だが今日、一枚の紙を見て、それが何億年もかけて形成された 土壌の贈物であり、何十年の年月をかけて成長した樹木から はじめて得ることのできる貴重な製品であることを私たちは思い 浮かべるだろうか。 水不足に悩む都市が治山事業の重要性を、どれほど自己の 問題として考えているだろう。 水の生産をダムに依存しているとはいえ、そのダムの埋没を 少しでも先へのばすためには、侵食防止は不可欠の課題のはず である。 川の自然を否定して成立した都市は、こうして日本列島の最も 奥深い、水源地帯の自然をも放棄するに至った。 残された資源は、いまもなおその守り手たちが懸命に守っている 農地の土壌だけである。 この最後の資源が失われたとき、100年にわたってくりひろげられ てきた列島改造の巨大な事業も、おのずから終止符を打つことに なるだろう。 土壌の生産力を失ったとき、いかなる文明もその地から姿を 消すしかなかったことは、過去の歴史が証明しているからである。 」 |
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土壌の守り手とは、なんと素晴らしい言葉か。 その重みとバランスがとれる近道は、個個人として何ができるのか、 何をしてはならないのかを考え、実践することにあるだろう。 ここ、佐久間ダムで、ペーパーバックを読みながら、 そんなことも考えられる釣り人でありたい。 |
○千葉県統計年鑑(昭和42年) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○水と緑と土 富山和子 | 1974(昭和49)年01月25日 | |
中公新書348 中央公論社 | ||
○巷談・房総人国記 高橋在久監修 | 1978(昭和53)年12月01日 | |
ちばぎん房総シリーズ@ 千葉銀行 | ||
○川は生きている 富山和子 | 1987(昭和62)年04月20日第6刷 | |
青い鳥文庫76-1 講談社 |