シークレットポイント Secret Points. |
| 0026 |
| 道仙田(どうせんだ)・中沼(なかぬま) |
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| (旧下総国北相馬郡)茨城県龍ケ崎市、北相馬郡藤代町、 |
1地形図 | 省 略 |
分 類 | 河川跡 |
別 称 | 子買川、蚕養川、子飼川、旧小貝川、 |
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JR常磐線佐貫駅より、関東鉄道竜ヶ崎線に乗換、終点竜ヶ崎駅下車。南西へ約2km。 国道6号線(水戸街道)を下り、茨城県に入り、小貝川を文巻橋で渡り、道なりに左へ大きくカーブ。 "小通幸谷"信号(右ト)を右折。JR常磐線を陸橋で越え、県道竜ヶ崎・潮来線を東進。 関東鉄道竜ヶ崎線を渡って"馴柴(なれしば)東"信号を右折南下。 再び関東鉄道竜ヶ崎線を越え、約1.1km先の"長沖新田"信号を右折。 600m先の右が沖州橋。 千葉方面からは、我孫子市布佐の栄橋が目標。 利根川を栄橋で渡って、県道千葉・竜ヶ崎線を北上・直進。 "北方"信号を過ぎて、約2.3km先の"長沖新田"信号を左折。 |
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| 道仙田 3m、中沼 14m |
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| 現状は1881(明治14)年〜1935(昭和10)年の間。 |
生息確認年月 | 1990(平成02)年08月23日 |
| 貸しボート・売店なし。水洗トイレ・駐車場は、ふるさとふれあい公園にあり。 |
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道仙田は、小貝川(流路延長111.8km)の短絡工事により、残された三日月湖。 岸辺はガマ・マコモ・ヨシが茂る。 |
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水面の一部に金魚藻・蔆藻がある。周囲は、道路・民家・松林・水田・畑と種種雑多。 道仙田のボトムは泥だが、流れがなく、水色はややクリアーである。 東岸の憩いの家は、龍ケ崎市総合福祉センターとなり、その対岸(西岸)に、 水車小屋・せせらぎ・広場・水洗トイレを備えた、ふるさとふれあい公園が造成された。 マブナ・ヘラブナ・コイ・ウナギ・カムルチーも生息。 沖州橋より北側が深く、南側は概して浅い。 流末は、豊田用水を経て、新利根川(別項参照)に入る。 |
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又、南600mに、中沼(北方町)がある。 中沼は、水田地帯の中にあって、直径100mの円形の池である。 ところが、平野部の池沼として関東一の水深と、透明度を持っており、中央の最深部は、水深14mである。 水質は、やや酸性のPH(ペーハー)6前後、40cm級のヘラブナやオオクチバスが生息している。 円周状に未舗装ながら道路があり、路肩からすぐに池で足場は良いが、風に弱いのが難点だ。 中沼の成因は、小貝川破堤の跡と云う(すぐ西の道路は控堤の一つで、 低くなった水越部を越えた水が洗掘した跡が中沼である)。 |
| 1881(明治14)年の、大日本帝国参謀本部陸軍部測量局の迅速測量図「龍箇嵜村」に |
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その姿を探すと、短絡工事施工前の、現役時代の小貝川を見ることができる。 現代の地形図と並べると、両岸の堤防間の距離は、北側締切り口で250m・中間部(現在の沖州橋付近)で220m・南側締切り口で150mであったこと。 全長3,400mの蛇行部を、約1,200mの直線部と付替えたこと。 残された旧河道の内、北側締切り口から800mは干拓され、水田となったこと等が分かる。 中沼は、1881(明治14)年から現代迄図上の変化は無い。
『豊田村名主日記』山崎十左衛門吉明の1797(寛政09)年10月10日に、
中沼の漁が記載されており(金沢経済大学白川部達夫助教授:抄訳、
龍ケ崎市史近世調査報告書U所収・332pp)、引用してみよう。 |
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小貝川の洪水と水害は、多数に上る。 1712(正徳02)年から1868(明治01)年迄は、155年間に55回発生。 3年も経たぬ内に次の洪水とは、なんと凄まじい頻度か。 明治以降でも、1880(明治13)年豊田/太田/源清田村左岸・ 1906(明治39)年布川町左岸・1907(明治40)年豊田/北文間/ 長竿村左岸、昭和となっても、1935(昭和10)年高須橋下左岸決壊・ 1938(昭和13)年・1941(昭和16)年左岸・1948(昭和23)年牛久沼 (別項参照)氾濫・1950(昭和25)年08月07日高須村大留地先 右岸決壊・1961(昭和36)年・1966(昭和41)年・1971(昭和46)年・ 1975(昭和50)年・1976(昭和51)年・1982(昭和57)年・ 1986(昭和61)年08月等、枚挙に暇が無い。
水塚(水屋)は、出水時の非難小屋であり、盛土をして地盤を高くした上に建て、軒には舟を下げて置くスタイルである。 |
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旧小貝川と摺鉢池の戦前のヘラブナ釣り・マブナ釣りの様子は、加納幸蔵の『鮒の釣場』に詳しく、案内されている。 『鮒の釣場』で、往時を偲ぶのも、また一興であろう。 1945(昭和20)年04月、牛久沼のほとり(現、藤代町新川)に、慣れない疎開生活を送りながら、釣った魚を糧として、 つつましく生きた母子がいた。 母は、詩人・英 美子(はなぶさよしこ)、子は、ギタリスト・中林淳眞(あつまさ)。 戦後期の牛久沼・道仙田周辺の暮らしが、『春鮒日記』に詩情豊かに描かれている。 他の一冊、山村 聰『釣りひとり』に「冬の道仙田」(91-98pp)があって、入漁料をとる管理人の「糞ばばあ」と、 朝から晩までギターの練習をする変人の倅が、登場する。 極めつけは「へらぶな釣りの開拓者には、底抜けの気狂いがいて、夏場のうちに水に潜り、地底の変化を克明に 記録したり、水を採取して分析に出し、プランクトンの多寡を調べたりした。」(92pp)というあたりで、 して見ると、よしさんも「底抜けの気狂い」かと苦笑する。 諸兄には、この両書の一読をぜひお勧めしたい。 ふるさとふれあい公園に、英 美子の詩碑「川」が建立された。 |
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龍ヶ崎市に、蛇沼(若柴町)・牛久沼(別項参照)・豊田堰(豊田町)等があり、北相馬郡利根町に安兵衛沼(加納新田)、
稲敷郡河内村に茅沼(生板)・不動免沼(長竿/ながさお/下町歩/しもちょうぶ)・天神沼(方巻)、新利根村に品志沼(中山)、
東村に丸沼(清久島/せいきゅうじま/橋向)等がある。 龍ケ崎市(馴馬町/なれうま)に、歴史民俗資料館がある。 よしさんは道仙田で、1991(平成03)年10月17日、カムルチー62.0cm をキャッチ&リリース、中沼で、1990(平成02)年08月23日、 オオクチバス30.0cmをキャッチ&リリースした。 |
「豊田村名主日記」 | 1797(寛政09)年10月10日 | |
原著:山崎十左衛門吉明 『龍ケ崎市史近世調査報告書U』 1994(平成06)年04月20日 抄訳:白川部達夫 | ||
○鮒の釣場 加納幸蔵 | 1944(昭和19)年01月18日 | |
春陽堂書店 | ||
○利根川 飯島博 | 1958(昭和33)年03月15日第2刷 | |
三一書房 | ||
○釣りひとり 山村 聰 | 1974(昭和49)年05月31日3版 | |
二見書房, \1200 | ||
○川魚図志 芦原修二 | 1984(昭和59)年10月20日初版第1刷 | |
崙書房 | ||
○ふるさといばらきの川 | 1988(昭和63)年11月16日 | |
同編集委員会 茨城新聞社 | ||
○春鮒日記 英美子 | 1994(平成06)年04月20日第1刷 | |
つり人ノベルズ つり人社 |