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| 0019 |
| 東金ダム(とうがねダム)Togane Reservoir.ときがね湖 |
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| 千葉県東金市松之郷、東金市東金、 |
1地形図 | 東金4008,4018, |
| ダム湖(導水の貯留・調整、上水道用、工業用水用) |
| ときがね湖 |
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JR東金線東金駅より、北西へ約1.5km。 千葉・東金道路終点から国道126号へ入り、 "小野"信号から3ツ目の信号を左折。 トンネルを潜って道なりに右半回転、大通りを左折。 最初の信号を直進、300m先の左が上流部。 |
| 0.25ku |
| 24.8m(EL43.8m−EL19.0m) |
| 2,740,000m3 |
| 0.61km2 |
| 1995(平成07)年10月13日 |
生息確認年月 | 1995(平成07)年夏(未確認) |
| 貸しボート・トイレ・売店なし。駐車場あり。 |
Special Feature |
東金ダムは、上空から見ると、足の出た巨大なオタマジャクシが、
北を向いている形状を成し、堤体は口に当たる。
オタマジャクシの頭部のボトムは全面石積み。 カウンターウエイト設置のため、最深部はダムサイトではない。 尾部が水棲植物のあるシャロー(南方)である。 全周に舗装された遊歩道と、水辺の手摺りが整備されている。 散歩・スケッチ等に好適地だ。 分譲地レイクサイドヒルに隣接。 釣り人には未知数の場所だが、BASSが入れば地形的にも楽しみな 場所である。 1995(平成07)年夏、満水位となった。 水色は、クリアー。水面はオープン。 流末は、十文字川を経て、真亀川(流路延長9.5km,流域面積70.8ku)に、 入り、太平洋に注ぐ。 金魚が、数万尾放流されている。 |
History |
水資源開発公団により、20年かけて建設
(施工は、日本国土・戸田JV)された。 1995(平成07)年10月13日、完成式典が湖畔で行われた。 傾斜遮水ゾーン型アースダムで、堤長は248m、堤高28.3m、 天端高EL47.3m。堤体積460,000m3、 有効貯水量は、2,200,000m3。総工事費は、209億円である。 利用水深は14m(EL43.8m−EL14.0m)だが、湖水中央の 取水塔近辺は、最低取水位となっても、更に水深10m程のプール (取水不可)が残る設計である。 これはデッドウォーターと言われ、計画的に100年分の堆砂量を溜める ためのスペース(容量)だ。 総貯水容量から有効貯水量を差引けば、求められる。 付近の地盤は、第4紀洪積世下総層群及び上総層群である。 房総導水路事業は、佐原市内で利根川(流路延長322km, 流域面積16,840ku)から取水し、房総半島一円を導水路・揚水機場・ ダムで結び、利根川の水を水道用水・工業用水として 各水道事業体に引き継ぐもの。 東金ダムは、房総導水路事業の一環で、導水の貯留・調整が目的である。 そのため、東金ダム自身の流域面積は、少ない。 つまり、東金ダムの水は、利根川の水なのだ。 利根川を流下するレンギョの卵が、導水路を経て、各ダムに生息すること になるのは、確実だろう。 上流の導水路に坂田調整池(坂田池の項参照)があり、 下流導水路には、大竹調整池(山武郡大網白里町大竹/14ha)・ 長柄ダム(市津湖の項参照)などのクッションが設けられている。 更に1995(平成07)年現在、大多喜ダムが建設途上であり、 完成後は安房地区へと南房総導水路が延びる。 東金市に、楓ケ池(日吉台)・桜ケ池(日吉台)・杏ケ池(八坂台)・ 八鶴湖等がある。 |
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東金市に生まれ、大網白里町の農家に嫁ぎ、工夫と努力を重ね
コシヒカリの安定多収(10俵どり)を確立した女性、野老昭代(ところてるよ)の 語る、用水と管理の変遷を紹介しよう。 「耕地には用排水路がなく、土地改良前まで、部落の北側と東側を囲う形で 流れている小さな河川、南白亀(なばき)川を堰止めて沼に貯水し、 防火用水と潅漑用水に使っていました。 水路は、前の耕地に届くだけの、宅地の間の水路だけで、 そのあとは、田越しに用水を引いていました。 そのため、一番下の田んぼに水を引くには、上の方にあるほ場を いくつも通さなければ用水が入りませんでしたので、 中間にある田んぼは、用水路と排水路を兼ねていたのです。 昔は、稲の栽培方法が元肥重点で行われていたことは、 常に水が流れているために、 表層施肥ができなかったのではないかと思います。 田尻をしっかりと止めておいても、上の田んぼからいつ排水 されるのか、また、下の田んぼにいつ水を引かれるのか 解らないので、元肥重点で、全層施肥の栽培方法は、昔の人の知恵で あったのかも知れません。 そのため、昭和36年に水田の除草剤が使われるようになってからは、 除草剤散布後、4日間は水が動かないように管理する必要があるので、 除草剤を散布する時は、下の方にある田んぼの水を確かめてから 行いました。 晴天が続いて、みんなが水を必要とする時期は、 用水のことで、隣接地同士のいざこざが、しばしばみられたのです。 昭和40年に基盤整備事業が行われて用排水路が完備されましたが、 利根川から取水する「両総用水」の水路が、 私の部落は末端で水量が少なく、耕地の半数が両総用水路より 地盤が高く、利用できないため、今でも南白亀川の水を利用しています。 土地改良後に換地された私のほ場は、 昔、部落の貯水池として利用していた沼跡です。 (中略) 用排水路が完備されていれば、潅漑も排水も、 周囲に気を配ることもなく、知っていながらできなかった中干しや 間断潅水が、自由にできることでした。 また、施肥も、稲の生育を見ながら適期に施せることや、 私の宅地に近く、いつでもすぐに、稲の観察や水の管理ができること、 そして、近くに集団しているため、作業の能率があがることなどでした。 私達の賭は見事に的中して、昭和42年に、 誰も想像していなかった十俵どりが達成したのです。」 |
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水管理の具体的方法論も詳述されているが、残念ながら ここでは紹介する紙幅がない。 稲は、苗を植えただけで、収穫できるものではないことを、 この際、再認識したい。 愛情と技術が結晶し、うまい米となるのだ。 |
Reference Books. | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42年) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○長柄ダム工事誌 水資源協会 編集 | 1991(平成03)年03月25日 | |
水資源開発公団房総導水路建設所 | ||
○稲との語らい 野老昭代 | 1991(平成03)年10月20日第1刷 | |
(私のコメづくり昭和史) 崙書房出版 | ||
○朝日新聞 | 1995(平成07)年10月14日 | |
朝日新聞社 |