|
| 0018 |
| 郡ダム(こおりダム) |
---|---|
| 千葉県君津市郡 |
1地形図 | 鹿野山5542,5543,5552,5553, |
| ダム湖(工業用水用) |
| 郡調整池 |
|
JR内房線君津駅より、南へ4.5km。同大貫駅より、東へ4.5km。
館山自動車道路"木更津南IC"より、国道127号線(内房なぎさ ライン)に入り、南下。 君津市の松川橋で小糸川を渡る。常代(とこしろ)信号を直進。 500m先(信号なし)、カーブの手前を右折。 100mほどで、すぐ左折(区画整理中のエリア)。 県道絹郡線に入り、南西へ。1kmで巨大な堤体が見える。 |
| 0.36km2 |
| 17m |
| 4,004,000m3(有効貯水量3,880,000m3) |
| 0.64km2 |
| 1972(昭和47)年12月 |
生息確認年月 | 1996(平成08)年02月04日 |
| 貸しボート・売店なし。トイレ・駐車場あり。 |
|
開放的で広々とした湖水。 水色はクリアー。東西に直線の堰堤部内面は、石積。 コンクリート製越流式余水吐けと、取水塔を備える。 南の湖面は、ワンド・砂浜・岬・水没立木・ドロップオフ・ベジテーション 等のストラクチャーを持つ。 冬季は多数のカモ類が飛来する。水質は貧栄養。 残念だが今のところ、遊泳・釣り・ボートは禁止。 ダムサイトに、千葉県工業用水局の管理事務所がある。 |
|
1969(昭和44)年10月02日、千葉県港湾工業用水局が、地権者説明会
を開催。 同年10月20日、郡ダム対策協議会設立総会。 1970(昭和45)年03月05日、千葉県知事友納武人と郡ダム対策協議会 (会長永藤泰造)が、用地提供に関する協定書に調印。 1970(昭和45)年04月着工、1972(昭和47)年12月完成。 前面傾斜コアー型アースダムで、堤体高さは38.2m。 堤頂長は720.57m、堤体積は950,000m3に達する。 流域面積から湛水面積を差し引くと(0.64ku―0.36Ku=0.28)、 水面を除いた流域の土地面積が算出される。 水面積が、流域の土地面積より大きいのは、ダムにとって特異なことだ。 郡ダムの秘密はここにある。 このダムは流域面積の水を貯水しているのでは、ない。 水源は、離れた場所・富津市数馬の湊川(流路延長43.0km, 流域面積104.1ku,)に設けられた湊川取水場である。 約10kmの導水路により、一旦、郡ダムに貯水された水は、 渇水期に放流され、郡川から江川を経て、小糸川(流路延長80.0km, 流域面積138.7ku,)に合流し、君津市人見地先の人見浄水場で 再び取水される。 浄水場で浄化された水は工業用水として、100,000m3/日が 給水されている。 |
|
遠方から水を引く。つまり 水道。 潅漑を兼用した水道では、1545(天文14)年竣工の、小田原早川上水 (神奈川県)が古い。 房総では1870(明治03)年竣工の、大多喜水道がある。 飲用を主とした水道は、1590(天正18)年竣工の、神田上水(東京都) が最古。 房総では1851(嘉永04)年竣工の、久留里水道がある。 当然潅漑専用の水道、用水路もあり、 養老川(流路延長75.0km,流域面積245.9ku,)・小櫃川(流路延長 88.0km,流域面積273.2ku)・小糸川等の河岸段丘面の畑は、 遠方からの用水路によって水田化された。 小櫃川の河谷に、平山用水が15.8km・潅漑面積45ha・1836(天保07) 年竣工(榎本武揚題額の記念碑は、平山に所在)。 大戸台用水が16.9km・潅漑面積22ha・1855(安政02)年竣工。 蔵王用水が7.4km・潅漑面積14ha・1853(嘉永06)年竣工。 笹豊田用水が5.8km・潅漑面積20ha・1863(文久03)年竣工。 黄和田用水や浦田用水等がある。 これら用水路は、山中をトンネルでくぐり、支流を掛樋やサイホンで 渡って流れる。 見事なものだ。 |
|
日本に初めてダムが建設されたのは、1900(明治33)年のこと。 堤高33m、上水道用の布引(ぬのびき)ダム(兵庫県神戸市)である。 日本では高さ15m以上をダムとして数え、現在その数は、 約2,400といわれる。 用途別では農業用・発電用・上水道用等の単一目的用が、 約83%・1,992ケ所。 また、1945(昭和20)年以前に竣工したダムが、約1,200あって、 その約88%・1,056ケ所が高さ40m未満の土堰堤である。 アメリカには、高さ7.6m・利水容量62,000m3以上のダムが 約1,850,000ある。 そのうち1,800,000は規模の小さなものだが、中には 利水容量約2,500,000,000m3以上という巨大な貯水池が、 31も含まれている。 合計すると、全利水容量は約567,000,000,000m3となる。 日本の2,400ダムの全利水容量は、11,200,000,000m3 であり、平均すれば、一つのダムあたり4,667,000m3に過ぎない。 郡ダムの有効貯水量は、魚で言えばアベレージサイズよりやや小ぶりだ。
ダムによる水資源確保を万能とする考えには、別の見方もある。 富山和子は「水と緑と土」 の中で警鐘を鳴らしている。 「日本のダムの耐用年数は、平均20年、長くても50年で完全に埋没 すると言われる。 階段状に設置されたダム群が埋没したとき、水は貯えられず 鉄砲水となって、一気に川を下る。 それは国土の砂漠化と、ダム決壊という災害への道に続く。 1963(昭和38)年、イタリアのバイオント・ダムの惨事が、 一つの証明である。 水資源問題の根源は、ダム万能主義と、そこに立脚して 思うままに開発を進めてきた土地利用にある。 それが、森林の貯水機能を不要として出発した、治水の 革命以来の産物だった」等々。 |
|
1970(昭和45)年03月19日付、郡ダム対策協議会が千葉県知事に あてた要望の、回答書(同年04月14日付)によれば、 「水面利用のボート等とダムによる漁業権」に関して、「ダムの 水面利用については、現在考えておりませんが、将来利用計画が 具体化した場合は、町および関係各課と協議のうえ地元優先で 考慮いたします」とされている。 あれから28年、高度経済成長の時代は終わった。 モノより、ハート。ぼつぼつ釣り場として、開放されてよい。 ダムも多目的に、使えたら、もっと心が豊かになる。 |
○千葉県統計年鑑(昭和42年) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○水と緑と土 富山和子 | 1974(昭和49)年01月25日 | |
(中公新書348) 中央公論社 | ||
○房総半島 菊地利夫 | 1982(昭和57)年05月24日 | |
大明堂 | ||
○水を訪れる 山口嘉之 | 1990(平成02)年06月25日 | |
(中公新書976) 中央公論社 | ||
○君津市史 史料集X現代T | 1993(平成05)年03月31日 | |
同編纂委員会 君津市 |