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| 0010 |
| 小櫃堰(おびつせき) |
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| 千葉県木更津市十日市場、祇園、 |
| 河川(堰) |
| なし |
| JR久留里線祇園駅より、北東へ約700m。 |
館山自動車道木更津北ICを出て、T字路左折。 | |
国道409号線(新道)を西進、木更津市街地へ向かう。 | |
東京湾横断道路を越え、600m先の清川の信号(信号名称表示なし)を、右折北上。 | |
JR久留里線を渡って、上総清川駅前の信号を左折西進。 | |
ここも国道409号線(旧道)だ。 | |
650m先(右ト)を右折、小櫃堰公園に至る。 | |
| ・・・ |
| 3.5m |
| ・・・ |
| 1973(昭和48)年03月 |
生息確認年月 | 1995(平成07)年08月02日 |
| 貸しボート・売店なし。 |
駐車とトイレは、左岸隣接の小櫃堰公園(子供遊具・テニスコートあり)が便利。 |
| 小櫃堰は無名であり、亀山湖(別項参照)は有名である。 |
亀山湖は小櫃川(流路延長88.0km,流域面積273.2ku,)の上流にあり、 | |
小櫃堰は小櫃川の下流にある。 | |
川幅約120mの、河川に設けられた堰である。 | |
ルアーは、定水量の上流側を万年橋迄、歩いて探るスタイルとなろう。 | |
両岸共、雑草の茂る土手だが、左岸がアプローチしやすい。 | |
藻もあって、ヘラブナ・鯉・ブルーギルも生息している。 | |
鯉は、80cmが小櫃堰の最大魚だと聞く。 | |
小櫃堰付近もまた、家庭排水が流入しつつあり、今後が懸念される。 | |
BASSは、鯉・鮒・雷魚・ブルーギルよりも、水質環境に弱いからである。 | |
排水処理設備のない、コイン洗車場の利用は遠慮したい。 | |
合併処理浄化槽や、公共下水道のないエリアでは、洗髪に | |
シャンプー(合成洗剤)を使わない決意も必要。 | |
釣り人なら、水質汚染にやさしい石鹸の使用を推奨する。 | |
魚を殺さない・環境を守るため、自分の生活を律することだ。 |
| 河川は、1970(昭和45)年07月01日の集中豪雨による被害を受け、同年08月 |
千葉県は小櫃川・小糸川(流路延長80.0km,流域面積138.7ku,)災害復旧 | |
工事事務所を設置し、総事業費95.2億円を投じて、1975(昭和50)年03月 | |
完成(決壊護岸の復旧・屈曲部を直線に改修)したもの。 | |
この改修で「西の唐古(奈良)に東の菅生、仲を取り持つ登呂(静岡)遺跡」 | |
と、日本三大農耕集落遺跡として、考古学界に知られた菅生遺跡(木更津市 | |
菅生地先)の大半が川底に沈んだ。 |
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小櫃堰は、県営小櫃堰用水改良事業として、1968(昭和43)年10月着工、 | 1973(昭和48)年03月、総事業費6.73億円で完成した。 | 総堰幅122m・堰高さ3.53m・フローティングタイプ可動堰により、 | 毎秒2,666m3(最大)〜1,748m3(常時)が取水されている。 | 小櫃堰の受益面積は、993.2ha、関係農家数2,411戸である。 | その後、水道用水の取水を目的に、1979(昭和54)年10月堰の改造に着手、 | 亀山湖で新規に開発された水源は、小櫃堰を通年〆切・貯水され、 | 都市用水(水道用水)として毎秒0.75m3を取水する工事が、 | 1980(昭和55)年03月、完成した。 | 菅生遺跡は、弥生・古墳・奈良の三時代(1〜8世紀)に跨がる全国でも
| 例のない三層遺跡で1937(昭和12)年地元住民が発見、同年と1948(昭
| 和23)年に国学院大学の大場磐雄教授らの調査で確認されたもの。
| 1973(昭和48)年01月13日から3回目の遺跡調査が実施された。
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出土した遺物は、木更津市の金鈴塚遺物保存館(電話0438-22-3676/
| 火曜・祝日の翌日・年末年始休館)と、千葉県立上総博物館(電話0438
| −23−0011/月曜休館)に保存されている。
| なかでも白眉は、実用されていたと見られる、五弦琴の出土。
| 弦の材料は何か。その音色は、いかがなものか。
| そしてメロディーは、演奏者は女性か男性かと興味は尽きない。
| ここは、1942(昭和17)年11月03日以前は、清川村菅生地区である。
| 菅生は「千葉県地名変遷総覧 第二版」によれば次の通り。
| 畔治(アハル)郷望陀郡。今詳ナラズ、或ハ クロハリトヨミテ、久留理ノ
| 地ニ牽合スル者アレド形状合ハズ。
| 畔治の語源は阿原(アハラ)である。
| また、「地名の研究」には、[ 「駿河志料」巻二七によれば、「安倍郡美和村大字
| 西ケ谷字阿原、もと池なりしが近世はあせたり」とある。
| 安倍川に合流する蓼川という小川が排水している低地である。(中略)
| 「駿河国巡村記」志太郡の五に、郡内の池および滝を列記した中にも
| 右の中薮田の阿原および蓮花寺北谷の阿原すなわち若王子のアハラ
| を載せている。
| おそらくは阿原を池の中に列したつもりであろう。
| 「飛州志」巻七に「アワラ田、下田にて深泥の田なり」とある。
| 諸国の阿原も右の三書の記載にもとづいて、その地名を説明して誤りが
| なかろうと思う。
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| 古い所では「倭名抄」の郷名に上総畔治(アハル)郷がある。 |
まず畔(あぜ)を築いて後に田を開くこと、あたかも近年の築地、築出し | |
新田のごときものを意味するのであろうか。 ]との、記述がある。 | |
この地区もまた、弥生・古墳・奈良の時代(1〜8世紀)から深田を開き、 | |
水稲主体の農業により開拓されたことがわかる。 | |
稲は、何と2,000年もの連作に耐える優秀な植物だ。稲に感謝! | |
そして、先人に感謝! |
| 『つり人』創刊号の「各地釣場案内 川の部」に「小櫃川の釣」があり |
アユ・ハヤ・コイ・ウナギ・ヤマベが紹介されている(67〜68pp)。 | |
1949(昭和24)年再刊の『釣魚手帖』では小櫃川の魚類に、ウナギ・ドジョウ・ | |
コイ・フナ・ナマズ・アユ・ウグイ(ハヤ)・オイカワ(ヤマベ)も挙げられている(154pp)。 | |
最近の中郷大橋下流と小櫃堰上流のヘラブナ釣りについては、大崎紀夫が | |
『へらぶな釣り場50選』に書いている(42pp.113pp)。 | |
アフターフィッシングは、旨い食事とコーヒー。 | |
よしさんのお勧めは、ボスコ(電話0438−98−0068 木更津市笹子340) | |
木更津北ICの、すぐ手前だから便利だ。 | |
11月08日にオープンした、気持ちの良い店(20:00迄、月曜定休)。 |
〇つり人 七月創刊号 | 1946(昭和21)年07月01日 | |
第1巻第1号 つり人社 | ||
○釣魚手帖 松崎明治 | 1949(昭和24)年01月25日 | |
丘書房 | ||
○千葉県統計年鑑(昭和42年) | 1968(昭和43)年03月25日 | |
千葉県企画部統計課 | ||
○千葉県地名変遷総覧第二版 | 1972(昭和47)年05月10日 | |
千葉県郷土資料刊行会 | ||
○千葉日報 | 1972(昭和47)年09月28日 | |
千葉日報社 | ||
○千葉日報 | 1973(昭和48)年04月04日 | |
千葉日報社 | ||
○千葉日報 | 1973(昭和48)年04月05日 | |
千葉日報社 | ||
○地名の研究(角川文庫) | 1973(昭和48)年05月30日7版 | |
柳田国男 角川書店 | ||
○千葉日報 | 1973(昭和48)年06月02日 | |
千葉日報社 | ||
○朝日新聞 | 1995(平成07)年10月13日 | |
朝日新聞社 | ||
〇永野 歩・梶山 誠 | 小櫃川におけるオオクチバスMicropterus salmoidesの食性(pdfファイル) | |
千葉県内水面水産試験場研究報告(7) | ||
23-28pp. 2000(平成12)年 | ||
〇へらぶな釣り場50選 大崎紀夫 | 2009(平成21)年01月10日 | |
三樹書房 |